日语学习网
精彩日文晨读(18)
日期:2013-09-19 19:54  点击:1637

18.それでも人生じんせいにイエスと言いう

これはある人(ひと)が強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)から生還(せいかん)した翌年(よくとし)に行(おこな)われた講演(こうえん)の最(さい)後(あと)の部分(ぶぶん)である。

「責任(せきにん)を、そして人生(じんせい)を肯定(こうてい)するのは難(むずか)しいことです。けれども、あらゆる困難(こんなん)をものともせず、この肯定(こうてい)を行(おこな)った人(ひと)たちがいました。

そして,アソコの収容所(しゅうようじょ)の囚人(しゅうじん)たちが、彼(かれ)らの作(つく)った歌(うた)の中(なか)で、「それでも人生(じんせい)にイエスと言(い)おう」と歌(うた)ったとき、それをただ歌(うた)っただけでなく、いろいろな仕方(しかた)で行(おこな)いにも移(うつ)したのです。彼(かれ)らも、そしてほかの収容所(しゅうようじょ)にいた私(わたし)たちの多(おお)くも、同(おな)じように行(おこな)いに移(うつ)したのです。外面的(がいめんてき)にも内面的(ないめんてき)にも口(くち)で言(い)えないような条件(じょうけん)の下(した)で、それを成(な)し遂(と)げたのです。

とすれば、今日(きょう)、本当(ほんとう)は比(くら)べることはできないとはいえ、比較的(ひかくてき)ましな状況(じょうきょう)にある私(わたし)たちが行(おこな)いに移(うつ)せないわけがありましょうか。人生(じんせい)はそれ自体意味(じたいいみ)があるわけですから、どんな状況(じょうきょう)にもイエスということができるのです。

人間(にんげん)はあらゆることにもかかわらず、また強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)の運命(うんめい)の下(した)にあったとしても 人生(じんせい)にイエス(いえす)ということができるのです」。


分享到:

顶部
09/30 06:23