第三章 日本列島
第四節 平地
第四節 平地
日本では平地(平野、盆地、台地を含む)は狭く、しかも散在している。その面積は国土の約25%ほどにすぎない。川が海に流れ込むあたりには、たいてい平野ができている。関東平野、石狩平野、新潟平野、濃尾平野などが大きな平野であるが、世界的に見るとごく小さな平野にすぎない。また、平野のほかに山に囲まれた盆地や台地がある。盆地は中央高地や東北地方に多く、台地は関東地方や九州地方などに見られる。
平野や盆地は人々の生活にとって大切な所である。そのため、人口が集まり、農業や工業が行われ、また多くの都市が発達している。最近海岸には人工的平地である埋立地や干拓地が多く造られるようになった。
関東平野は利根川、相模川の流域に発達した日本で一番広い平野である。この平野は利根川の上流から運んできた土や砂でできた平地と少し高い所の台地からできている。この台地の所は火山灰地であり、ここにはあまり水がないので麦やさつまいもなどを作っている。利根川の下流には湖があって、水も豊富なので、ここでは米を作っている。
関東平野の中心の町は東京で、いま都心は官庁や会社のビルが立ち並ぶ所となり、人口が減少し、人々の生活場は、東京の郊外や神奈川、埼玉、千葉の三県に移った。これを人口のドーナツ化現象という。横浜・川崎・八王子・浦和・大宮・千葉などの町は、首都の周りの中核都市になっている。
東京の町は平野に向かって広がるだけでなく、海の方へも広がっている。大規模に東京湾が埋め立てられ、埋立地に公園やベッドタワンや様々な建物が建てられている。東京湾の埋め立ては、江戸時代から行われていたが、埋め立てに大都市のごみを使うようになってから、急速に進み、建設技術の進歩で大規模な臨海地区の開発の時代になった。関東平野の東部には東海村原子力発電所や筑波研究学園都市もある。
石狩平野は石狩川の流域にできた平野で、石狩川は北海道の中央部を曲がりくねって流れている。石狩平野は日本で二番目に広い平野であるが、火山灰地でできているので、農業にはあまり適しない。それで、ここでは牧畜や酪農が盛んである。
北海道ではアイヌ人が魚や動物を捕って生活していた。そこが明治時代の初めに開拓され、札幌はその時にできた町であり、札幌の町には今も開拓当時に建てた旧庁舎などが残っている。そのころできた札幌農学校が後に北海道大学になった。サッポロというのはアイヌ語のサトポロで「乾いた土地」という意味である。北海道にはアイヌ語の地名が沢山ある。
濃尾平野の西部は、木曽川、長良川などの三つの大きな川が合流している所で、梅雨や台風で川の水が多くなると、度々洪水になるが、近年は高い堤防を造って水害もだんだん少なくなった。
濃尾平野の南部の伊勢湾沿岸の地方は、1959年9月の伊勢湾台風の時、5メートルの高潮が堤防をこえて流れ込み、5000人もの人が死んだというひどい被害を受けた。その後、7メートルの堤防が造られ高潮や津波に備えている。
濃尾平野の東部は台地で、水が少なく農業はほとんどできなかった。1961年ここに木曽川から水を引いて長さ112キロメートルの愛知用水ができた。こうして、昔は荒れ地だった濃尾平野の東部も、今では、米作りのほか、野菜作りや養鶏などの盛んな地帯に変わっている。