第六章 日本の各地方
第六節 中国と四国地方
第六節 中国と四国地方
中国・四国地方は、本州の南西部とその南の四国、瀬戸内海に浮かぶ大小多数の島々や日本海の沖合いにある隠岐などからなっている。中国地方と四国地方には岡山、広島、山口、鳥取、島根と香川、愛媛、徳島、高知の9県がある。面積では関東や近畿地方より広いが、東北や中部地方より狭く、日本全国の約14%を占めている。
中国、四国地方はなだらかな中国山地と険しい四国山地がともに東西に並行し、この山地を境にして、日本海に面する山陰、瀬戸内海に面する山陽と北四国を合せた瀬戸内、太平洋に面する南四国の3地域に分けられる。そのうち、瀬戸内地方は工業も発達し、人口の大部分がここに集中している。瀬戸内海の航運は昔から発達してきたところで、今尚大動脈の役割を担っている。
中国・四国地方は、山地が多く、小さな平野が散らばっている。中国山地の山々が東西に連なり、中国地方の背骨のように高くなっており、北側の山陰地方と、南側の山陽地方とに分けている。中国地方には山が多いので、川の下流につくられた小さな平野しかない。また、山陰地方に鳥取平野・倉吉平野があり、海水の流れによって運ばれた砂が平野に溜まり、その上に大きな砂丘ができている。鳥取砂丘はとくに有名である。山陽地方には岡山・広島などの平野がある。四国地方には、九州山地に続く高くて険しい四国山地が聳えている。その西端では出入りの多いリアス式海岸が見られる。四国には吉野川をはじめ、那賀川・仁淀川などの大きな川がある。吉野川は四国第一の長い川で、四国山地の南側から四国山地を横切り、東へ流れている。四国の川は水量が多いので、深い谷をつき止めて、各地にダムがつくられている。四国には讃岐平野、松山平野、徳島平野、高知平野がある。
瀬戸内海は、地盤が沈んでできた内海で、大小様々な島があちこちに浮かんでいる。その美しい景色は多くの人々に親しまれ、国立公園に指定されている。
中国・四国地方は、季節風と地形との関係によって中国地方と四国地方を境にして、日本海岸気候・瀬戸内気候・太平洋岸気候に分けられる。山陰地方は日本海岸気候で、瀬戸内地方は瀬戸内気候で、南四国地方は太平洋岸気候で、台風に襲われやすく、降水量も多い。
瀬戸内工業地域は古くから家内工業が栄えてきたが、西に北九州、東に阪神の工業地帯をひかえ、海陸の交通にも恵まれて、近代工業が目覚しく発展している。大企業は瀬戸内海の沿岸に多くの工場を建て、歴史の古い繊維工業や造船業のほか、金属工業、鉄鋼工業、セメントやソーダなどの化学工業および石油化学工業も大規模なものが進出している。
農業は多角農業に移り、米作は山陰と高知平野や岡山平野で作られている。山陰は古く開かれた地域であるため、近代産業の発展は遅れ、流出する人口も多い。鳥取県では米作のほか、野菜や果物も栽培し、とくに梨の栽培が盛んで、日本一の産地になっている。出雲平野の海岸地域を中心に果樹栽培が盛んになり、愛媛県は静岡県を抜いて日本一の蜜柑の生産量を上げるようになった。鳥取の丘陵地、高知の南向き斜面などでは、果樹と野菜の促成栽培が盛んに行われている。中国地方の山地では乳牛と肉牛が多く、酪農も盛んに行われている。高知県や愛媛県の産地では楮が栽培され、これを原料とする和紙の製造が行われている。井野町は製紙の町で日本全国でも有名な和紙の産地である。また、瀬戸内海の漁業は古くから発達してきたが、近年は減退している。その代わりに、製塩技術が以前より進歩して、坂出などに工場が設けられて電解による製塩が発達して塩田製塩は廃止された。
本州と九州の間の関門海峡には1958年に開通した関門トンネルや、1973年にできた関門橋があって、便利になっている。本州と四国の間には1988年に瀬戸大橋と呼ばれる道路と鉄道のダブルデッキ構造となっている併用橋が作られ、本州と四国との連絡橋として重要な役割を果たしている。航空路では国際線や国内幹線はこの地方を素通りしているが、四国地方と中国地方との主な都市には空港がある。
この地域の中心になる都市が広島で、1945年8月6日、史上最初の原子爆弾の投下によって一瞬のうちに廃虚となった。戦後、都市建設を復興して、いま、人口は100万を超えて大都市となり、特に自動車工業や造船業が発達している。この地域には瀬戸内海国立公園、山陰海岸国立公園、渦潮の鳴門海峡などがあり、風景はとても美しい。そのほか、松山の道後温泉、岡山の後楽園、山口の錦帯橋など、多くの史跡と名勝があり、阪神地方に近いので、四季を通して観光客が訪れる。