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《片恋》
日期:2014-02-01 19:08  点击:865
(一しょに大学を出た親しい友だちの一人に、ある夏の午後京浜電車けいひんでんしゃの中でったら、こんな話を聞かせられた。)
この間、社の用でYへ行った時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待しょうだいしてくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺せきばんずりの乃木のぎ大将の掛物がかかっていて、その前に造花ぞうか牡丹ぼたんが生けてあると云う体裁だがね。夕方から雨がふったのと、人数にんずも割に少かったのとで、思ったよりや感じがよかった。その上二階にも一組宴会があるらしかったが、これも幸いと土地がらに似ず騒がない。所が君、お酌人しゃくにんの中に――
君も知っているだろう。僕らが昔よく飲みに行ったUの女中に、おとくって女がいた。鼻の低い、額のつまった、あすこじゅうでの茶目だった奴さ。あいつが君、はいっているんだ。お座敷着で、お銚子を持って、ほかの朋輩ほうばいなみに乙につんとすましてさ。はじめは僕も人ちがいかと思ったが、そばへ来たのを見ると、お徳にちがいない。もの云う度に、あごをしゃくる癖も、昔の通りだ。――僕は実際無常を感じてしまったね。あれでも君、元は志村しむら岡惚おかぼれだったんじゃないか。
志村の大将、その時分は大真面目おおまじめで、青木堂へ行っちゃペパミントの小さなびんを買って来て、「甘いから飲んでごらん。」などと、やったものさ。酒も甘かったろうが、志村も甘かったよ。
そのお徳が、今じゃこんな所で商売をしているんだ。シカゴにいる志村が聞いたら、どんな心もちがするだろう。そう思って、声をかけようとしたが、遠慮した。――お徳の事だ。前には日本橋に居りましたくらいな事は、云っていないものじゃない。
すると、向うから声をかけた。「ずいぶんしばらくだわねえ。わたしがUにいる時分にお眼にかかった切りなんだから。あなたはちっともお変りにならない。」なんて云う。――お徳の奴め、もう来た時から酔っていたんだ。
が、いくら酔っていても、久しぶりじゃあるし、志村の一件があるもんだから、おおいに話がもてたろう。すると君、ほかの連中が気を廻わすのを義理だと心得た顔色で、わいわい騒ぎ立てたんだ。何しろ主人役が音頭おんどうをとって、逐一白状に及ばない中は、席を立たせないと云うんだから、始末が悪い。そこで、僕は志村のペパミントの話をして、「これは私の親友にひじを食わせた女です。」――莫迦莫迦ばかばかしいが、そう云った。主人役がもう年配でね。僕は始から、叔父さんにつれられて、お茶屋へ上ったと云う格だったんだ。
すると、その臂と云うんで、またどっと来たじゃないか。ほかの芸者まで一しょになって、お徳のやつをひやかしたんだ。
ところが、お徳こと福竜のやつが、承知しない。――福竜がよかったろう。八犬伝の竜の講釈の中に、「優楽自在なるを福竜と名づけたり」と云う所がある。それがこの福竜は、大に優楽不自在なんだから可笑おかしい。もっともこれは余計な話だがね。――その承知しない云い草が、また大に論理的ロジカルなんだ。「志村さんが私にお惚れになったって、私の方でも惚れなければならないと云う義務はござんすまい。」さ。
それから、まだあるんだ。「それがそうでなかったら、私だって、とうの昔にもっと好い月日があったんです。」
それが、所謂片恋の悲しみなんだそうだ。そうしてその揚句にエキザンプルでも挙げる気だったんだろう。お徳のやつめ、妙なのろけを始めたんだ。君に聞いて貰おうと思うのはそののろけ話さ。どうせのろけだから、面白い事はない。
あれは不思議だね。夢の話と色恋の話くらい、聞いていてつまらないものはない。
(そこで自分は、「それは当人以外に、面白さが通じないからだよ。」と云った。「じゃ小説に書くのにも、夢と色恋とはむずかしい訳だね。」「少くとも夢なんぞは感覚的なだけに、なおそうらしいね。小説の中に出て来る夢で、ほんとうの夢らしいのはほとんど一つもないくらいだ。」「だが、恋愛小説の傑作は沢山あるじゃないか。」「それだけまた、後世こうせいにのこらなかった愚作の数も、思いやられると云うものさ。」)
そう話がわかっていれば、大に心づよい。どうせこれもその愚作中の愚作だよ。なんしろお徳の口吻こうふんを真似ると、「まあ私の片恋って云うようなもの」なんだからね。精々そのつもりで、聞いてくれ給え。
お徳の惚れた男と云うのは、役者でね。あいつがまだ浅草田原町たわらまちの親の家にいた時分に、公園で見初みそめたんだそうだ。こう云うと、君は宮戸座みやとざ常盤座ときわざの馬の足だと思うだろう。ところがそうじゃない。そもそも、日本人だと思うのが間違いなんだ。毛唐けとうの役者でね。何でも半道はんどうだと云うんだから、笑わせる。
その癖、お徳はその男の名前も知らなければ、居所いどころも知らない。それ所か、国籍さえわからないんだ。女房持か、独り者か――そんな事は勿論、くだけ、野暮やぼさ。可笑しいだろう。いくら片恋だって、あんまり莫迦ばかげている。僕たちが若竹へ通った時分だって、よしんば語り物は知らなかろうが、先方は日本人で、芸名昇菊しょうぎくくらいな事は心得ていたもんだ。――そう云って、僕がからかったら、お徳の奴、むきになって、「そりゃ私だって、知りたかったんです。だけど、わからないんだから、仕方がないじゃありませんか。なんしろ幕の上で遇うだけなんですもの。」と云う。
幕の上では、妙だよ。幕の中でと云うなら、わかっているがね。そこでいろいろ聞いて見ると、その恋人なるものは、活動写真に映る西洋の曾我そがなんだそうだ。これには、僕も驚いたよ。成程なるほど幕の上でには、ちがいない。
ほかの連中は、悪いおちだと思ったらしい。中には、「へん、いやにおひゃらかしやがる。」なんて云った人もある。船着だから、人気にんきが荒いんだ。が、見たところ、どうもお徳が嘘をついているとも思われない。もっとも眼は大分だいぶとろんこだったがね。
「毎日行きたくっても、そうはお小遣こづかいがつづかないでしょう。だから私、やっと一週に一ぺんずつ行って見たんです。」――これはいいが、そのあとが振っている。「一度なんか、阿母おっかさんにねだってやっとやって貰うと、満員で横の隅の所にしか、はいれないんでしょう。そうすると、折角その人の顔が映っても、妙に平べったくしか見えないんでしょう。私、かなしくって、かなしくって。」――前掛まえかけを顔へあてて、泣いたって云うんだがね。そりゃ恋人の顔が、幕なりにぺちゃんこに見えちゃ、かなしかろうさ。これには、僕も同情したよ。
「何でも、十二三度その人がちがった役をするのを見たんです。顔の長い、痩せた、ひげのある人でした。大抵黒い、あなたの着ていらっしゃるような服を着ていましたっけ。」――僕は、モオニングだったんだ。さっきでりているから、機先を制して、「似ていやしないか。」って云うと、すまして、「もっといい男」さ。「もっといい男」はきびしいじゃないか。
なんしろあなた、幕の上で遇うだけなんでしょう。向うが生身いきみの人なら、ことばをかけるとか、眼で心意気を知らせるとか出来るんですが、そんな事をしたって、写真じゃね。」おまけに活動写真なんだ。肌身はなさずとも、かなかった訳さ。「思い思われるって云いますがね。思われない人だって、思われるようにはしむけられるんでしょう。志村さんにしたって、私によく青いお酒を持って来ちゃくだすった。それが私のは、思われるようにしむける事も出来ないんです。ずいぶん因果じゃありませんか。」一々御尤ごもっともだ。こいつには、可笑おかしい中でも、つまされたよ。
「それから芸者になってからも、お客様をつれ出しちゃよく活動を見に行ったんですが、どうした訳か、ぱったりその人が写真に出てこなくなってしまったんです。いつ行って見ても、「名金めいきん」だの「ジゴマ」だのって、見たくも無いものばかりやっているじゃありませんか。しまいには私も、これはもう縁がないもんだとさっぱりあきらめてしまったんです。それがあなた……」
ほかの連中が相手にならないもんだから、お徳は僕一人をつかまえて、しゃべっているんだ。それも半分泣き声でさ。
「それがあなた、この土地へ来て始めて活動へ行った晩に、何年ぶりかでその人が写真に出て来たじゃありませんか。――どこか西洋の町なんでしょう。こう敷石があって、まん中に何だか梧桐あおぎりみたいな木が立っているんです。両側はずっと西洋館でしてね。ただ、写真が古いせいか、一体に夕方みたいにうすぼんやり黄いろくって、そのうちや木がみんな妙にぶるぶるふるえていて――そりゃさびしい景色なんです。そこへ、小さな犬を一匹つれて、その人があなた煙草をふかしながら、出て来ました。やっぱり黒い服を着て、杖をついて、ちっとも私が子供だった時と変っちゃいません……」
ざっと十年ぶりで、恋人にめぐり遇ったんだ。向うは写真だから、変らなかろうが、こっちはお徳が福竜になっている。そう思えば、可哀そうだよ。
「そうして、その木の所で、ちょいと立止って、こっちを向いて、帽子をとりながら、笑うんです。それが私に挨拶をするように見えるじゃありませんか。名前を知ってりゃ呼びたかった……」
呼んで見給え。気ちがいだと思われる。いくらYだって、まだ活動写真にれた芸者はいなかろう。
「そうすると、向うから、小さな女異人が一人歩いて来て、その人にかじりつくんです。弁士の話じゃ、これがその人の情婦いろおんななんですとさ。年をとっている癖に、大きな鳥の羽根なんぞを帽子につけて、いやらしいったらないんでしょう。」
お徳はけたんだ。それも写真にじゃないか。
(ここまで話すと、電車が品川へ来た。自分は新橋で下りるからだである。それを知っている友だちは、語りおわらない事をおそれるように、時々眼を窓の外へ投げながら、やや慌しい口調で、話しつづけた。)
それから、写真はいろいろな事があって、結局その男が巡査につかまる所でおしまいになるんだそうだ。何をしてつかまるんだか、お徳はくわしく話してくれたんだが、生憎あいにく今じゃ覚えていない。
「大ぜいよってたかって、その人を縛ってしまったんです。いいえ、その時はもうさっきの往来じゃありません。西洋の居酒屋か何かなんでしょう。お酒のびんがずうっとならんでいて、すみの方には大きな鸚鵡おうむの籠が一つ吊下げてあるんです。それが夜の所だと見えて、どこもかしこも一面に青くなっていました。その青い中で――私はその人の泣きそうな顔をその青い中で見たんです。あなただって見れば、きっとかなしくなったわ。眼に涙をためて、口を半分ばかりあいて……」
そうしたら、呼笛よびこが鳴って、写真が消えてしまったんだ。あとは白い幕ばかりさ。お徳の奴の文句がい、――「みんな消えてしまったんです。消えてはかなくなりにけりか。どうせ何でもそうしたもんね。」
これだけ聞くと、大に悟っているらしいが、お徳は泣き笑いをしながら、僕にいや味でも云うような調子で、こう云うんだ。あいつは悪くすると君、ヒステリイだぜ。
だが、ヒステリイにしても、いやに真剣な所があったっけ。事によると、写真に惚れたと云うのは作り話で、ほんとうは誰か我々の連中に片恋をした事があるのかも知れない。
(二人の乗っていた電車は、この時、薄暮はくぼの新橋停車場へ着いた。)
(大正六年九月十七日)



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