一
先頃大殿様 御一代中で、一番人目 を駭 かせた、地獄変 の屏風 の由来を申し上げましたから、今度は若殿様の御生涯で、たった一度の不思議な出来事を御話し致そうかと存じて居ります。が、その前に一通り、思いもよらない急な御病気で、大殿様が御薨去 になった時の事を、あらまし申し上げて置きましょう。
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、御屋形 の空へ星が流れますやら、御庭の紅梅が時ならず一度に花を開きますやら、御厩 の白馬 が一夜 の内に黒くなりますやら、御池の水が見る間に干上 って、鯉 や鮒 が泥の中で喘 ぎますやら、いろいろ凶 い兆 がございました。中でも殊に空恐ろしく思われたのは、ある女房の夢枕に、良秀 の娘の乗ったような、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面 の獣 に曳かれながら、天から下 りて来たと思いますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼 わったそうでございます。その時、その人面の獣が怪しく唸 って、頭 を上げたのを眺めますと、夢現 の暗 の中にも、唇ばかりが生々 しく赤かったので、思わず金切声をあげながら、その声でやっと我に返りましたが、総身はびっしょり冷汗 で、胸さえまるで早鐘をつくように躍っていたとか申しました。でございますから、北の方 を始め、私 どもまで心を痛めて、御屋形の門々 に陰陽師 の護符 を貼りましたし、有験 の法師 たちを御召しになって、種々の御祈祷を御上げになりましたが、これも誠に遁れ難い定業 ででもございましたろう。
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、今出川 の大納言 様の御屋形から、御帰りになる御車 の中で、急に大熱が御発しになり、御帰館遊ばした時分には、もうただ「あた、あた」と仰有 るばかり、あまつさえ御身 のうちは、一面に気味悪く紫立って、御褥 の白綾 も焦げるかと思う御気色 になりました。元よりその時も御枕もとには、法師、医師、陰陽師 などが、皆それぞれに肝胆 を砕いて、必死の力を尽しましたが、御熱は益 烈しくなって、やがて御床 の上まで転 び出ていらっしゃると、たちまち別人のような嗄 れた御声で、「あおう、身のうちに火がついたわ。この煙 りは如何 致した。」と、狂おしく御吼 りになったまま、僅三時 ばかりの間に、何とも申し上げる語 もない、無残な御最期 でございます。その時の悲しさ、恐ろしさ、勿体 なさ――今になって考えましても、蔀 に迷っている、護摩 の煙 と、右往左往に泣き惑っている女房たちの袴の紅 とが、あの茫然とした験者 や術師たちの姿と一しょに、ありありと眼に浮かんで、かいつまんだ御話を致すのさえ、涙が先に立って仕方がございません。が、そう云う思い出の内でも、あの御年若な若殿様が、少しも取乱した御容子 を御見せにならず、ただ、青ざめた御顔を曇らせながら、じっと大殿様の御枕元へ坐っていらしった事を考えると、なぜかまるで磨 ぎすました焼刃 の いでも嗅 ぐような、身にしみて、ひやりとする、それでいてやはり頼もしい、妙な心もちが致すのでございます。
二
御親子 の間がらでありながら、大殿様と若殿様との間くらい、御容子 から御性質まで、うらうえなのも稀 でございましょう。大殿様は御承知の通り、大兵肥満 でいらっしゃいますが、若殿様は中背 の、どちらかと申せば痩ぎすな御生れ立ちで、御容貌 も大殿様のどこまでも男らしい、神将のような俤 とは、似もつかない御優しさでございます。これはあの御美しい北の方 に、瓜二 つとでも申しましょうか。眉の迫った、眼の涼しい、心もち口もとに癖のある、女のような御顔立ちでございましたが、どこかそこにうす暗い、沈んだ影がひそんでいて、殊に御装束でも召しますと、御立派と申しますより、ほとんど神寂 ているとでも申し上げたいくらい、いかにももの静な御威光がございました。
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが豪放 で、雄大で、何でも人目 を驚かさなければ止まないと云う御勢いでございましたが、若殿様の御好みは、どこまでも繊細で、またどこまでも優雅な趣がございましたように存じて居ります。たとえば大殿様の御心もちが、あの堀川の御所 に窺 われます通り、若殿様が若王子 に御造りになった竜田 の院は、御規模こそ小そうございますが、菅相丞 の御歌をそのままな、紅葉 ばかりの御庭と申し、その御庭を縫っている、清らかな一すじの流れと申し、あるいはまたその流れへ御放しになった、何羽とも知れない白鷺 と申し、一つとして若殿様の奥床しい御思召 しのほどが、現れていないものはございません。
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、武張 った事を御好みになりましたが、若殿様はまた詩歌管絃 を何よりも御喜びなさいまして、その道々の名人上手とは、御身分の上下も御忘れになったような、隔てない御つき合いがございました。いや、それもただ、そう云うものが御好きだったと申すばかりでなく、御自分も永年御心を諸芸の奥秘 に御潜めになったので、笙 こそ御吹きになりませんでしたが、あの名高い帥民部卿 以来、三舟 に乗るものは、若殿様御一人 であろうなどと、噂のあったほどでございます。でございますから、御家の集 にも、若殿様の秀句や名歌が、今に沢山残って居りますが、中でも世上に評判が高かったのは、あの良秀 が五趣生死 の図を描 いた竜蓋寺 の仏事の節、二人の唐人 の問答を御聞きになって、御詠 みになった歌でございましょう。これはその時磬 の模様に、八葉 の蓮華 を挟 んで二羽の孔雀 が鋳 つけてあったのを、その唐人たちが眺めながら、「捨身惜花思 」と云う一人の声の下から、もう一人が「打不立有鳥 」と答えました――その意味合いが解 せないので、そこに居合わせた人々が、とかくの詮議立てをして居りますと、それを御聞きになった若殿様が、御持ちになった扇の裏へさらさらと美しく書き流して、その人々のいる中へ御遣 しになった歌でございます。
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた御二方 の御仲 にも、そぐわない所があったようでございます。これにも世間にはとかくの噂がございまして、中には御親子 で、同じ宮腹 の女房を御争いになったからだなどと、申すものもございますが、元よりそのような莫迦 げた事があろう筈はございません。何でも私 の覚えて居ります限りでは、若殿様が十五六の御年に、もう御二方の間には、御不和の芽がふいていたように御見受け申しました。これが前にもちょいと申し上げて置きました、若殿様が笙 だけを御吹きにならないと云う、その謂 われに縁のある事なのでございます。
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の従兄 に御当りなさる中御門 の少納言 に、御弟子入 をなすっていらっしゃいました。この少納言は、伽陵 と云う名高い笙と、大食調入食調 の譜とを、代々御家に御伝えになっていらっしゃる、その道でも稀代 の名人だったのでございます。
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく切磋琢磨 の功を御積みになりましたが、さてその大食調入食調 の伝授を御望みになりますと、少納言はどう思召したのか、この仰せばかりは御聞き入れになりません。それが再三押して御頼みになっても、やはり御満足の行くような御返事がなかったので、御年若な若殿様は、一方ならず残念に思召したのでございましょう。ある日大殿様の双六 の御相手をなすっていらっしゃる時に、ふとその御不満を御洩しになりました。すると大殿様はいつものように鷹揚 に御笑いになりながら、「そう不平は云わぬものじゃ。やがてはその譜も手にはいる時節があるであろう。」と、やさしく御慰めになったそうでございます。ところがそれから半月とたたないある日の事、中御門の少納言は、堀川の御屋形 の饗 へ御出になった帰りに、俄 に血を吐いて御歿 りになってしまいました。が、それは先ず、よろしいと致しましても、その明くる日、若殿様が何気なく御居間へ御出でになると、螺鈿 を鏤 めた御机の上に、あの伽陵 の笙と大食調入食調の譜とが、誰が持って来たともなく、ちゃんと載っていたと申すではございませんか。
その後 また大殿様が若殿様を御相手に双六 を御打ちになった時、
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように仰有 ると、若殿様は静に盤面 を御眺めになったまま、
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「聊 かながら、少納言の菩提 を弔 おうと存じますから。」
こう仰有 って若殿様は、じっと父上の御顔を御見つめになりました。が、大殿様はまるでその御声が聞えないように勢いよく筒 を振りながら、
「今度もこの方が無地勝 らしいぞ。」とさりげない容子 で勝負を御続けになりました。でございますからこの御問答は、それぎり立ち消えになってしまいましたが、御親子の御仲には、この時からある面白くない心もちが、挟まるようになったかと存ぜられます。
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、御親子 の間には、まるで二羽の蒼鷹 が、互に相手を窺いながら、空を飛びめぐっているような、ちっとの隙 もない睨 み合いがずっと続いて居りました。が、前にも申し上げました通り若殿様は、すべて喧嘩口論の類 が、大御嫌 いでございましたから、大殿様の御所業 に向っても、楯 を御つきになどなった事は、ほとんど一度もございません。ただ、その度に皮肉な御微笑を、あの癖のある御口元にちらりと御浮べになりながら、一言二言 鋭い御批判を御漏 らしになるばかりでございます。
いつぞや大殿様が、二条大宮の百鬼夜行 に御遇いになっても、格別御障りのなかった事が、洛中洛外の大評判になりますと、若殿様は私 に御向いになりまして、「鬼神 が鬼神に遇うたのじゃ。父上の御身 に害がなかったのは、不思議もない。」と、さも可笑 しそうに仰有 いましたが、その後また、東三条の河原院 で、夜な夜な現れる融 の左大臣の亡霊を、大殿様が一喝して御卻 けになった時も、若殿様は例の通り、唇を歪 めて御笑いになりながら、
「融の左大臣は、風月の才に富んで居られたと申すではないか。されば父上づれは、話のあとを打たせるにも足らぬと思われて、消え失せられたに相違ない。」と、仰有 ったのを覚えて居ります。
それがまた大殿様には、何よりも御耳に痛かったと見えまして、ふとした拍子 に、こう云う若殿様の御言葉が、御聞きに達する事でもございますと、上べは苦笑いに御紛 わしなすっても、御心中の御怒りはありありと御顔に読まれました。現に内裡 の梅見の宴からの御帰りに、大殿様の御車 の牛がそれて、往来の老人に怪我させた時、その老人が反 って手を合せて、権者 のような大殿様の御牛 にかけられた冥加 のほどを、難有 がった事がございましたが、その時も若殿様は、大殿様のいらっしゃる前で、牛飼いの童子に御向いなさりながら、「その方はうつけものじゃな。所詮 牛をそらすくらいならば、なぜ車の輪にかけて、あの下司 を轢 き殺さぬ。怪我をしてさえ、手を合せて、随喜するほどの老爺 じゃ。轍 の下に往生を遂げたら、聖衆 の来迎 を受けたにも増して、難有 く心得たに相違ない。されば父上の御名誉も、一段と挙がろうものを。さりとは心がけの悪い奴じゃ。」と、仰有ったものでございます。その時の大殿様の御機嫌の悪さと申しましたら、今にも御手の扇が上って、御折檻 くらいは御加えになろうかと、私ども一同が胆 を冷すほどでございましたが、それでも若殿様は晴々と、美しい歯を見せて御笑いになりながら、
「父上、父上、そう御腹立ち遊ばすな。牛飼めもあの通り、恐れ入って居 るようでございます。この後 とも精々心にかけましたら、今度こそは立派に人一人轢き殺して、父上の御名誉を震旦 までも伝える事でございましょう。」と、素知 らぬ顔で仰有ったものでございますから、大殿様もとうとう我 を御折りになったと見えて、苦 い顔をなすったまま、何事もなく御立ちになってしまいました。
こう云う御間がらでございましたから、大殿様の御臨終を、じっと御目守 りになっていらっしゃる若殿様の御姿ほど、私どもの心の上に不思議な影を宿したものはございません。今でもその時の事を考えますと、まるで磨ぎすました焼刃 の いを嗅ぐような、身にしみてひやりとする、と同時にまた何となく頼もしい、妙な心もちが致した事は、先刻もう御耳に入れて置きました。誠にその時の私どもには、心から御代替 りがしたと云う気が、――それも御屋形 の中ばかりでなく、一天下 にさす日影が、急に南から北へふり変ったような、慌 しい気が致したのでございます。
五
でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、御屋形 の中へはどこからともなく、今までにない長閑 な景色 が、春風 のように吹きこんで参りました。歌合 せ、花合せ、あるいは艶書合 せなどが、以前にも増して度々御催しになられたのは、申すまでもございますまい。それからまた、女房たちを始め、侍どもの風俗が、まるで昔の絵巻から抜け出して来たように、みやびやかになったのも、元よりの事でございます。が、殊に以前と変ったのは、御屋形の御客に御出でになる上 つ方 の御顔ぶれで、今はいかに時めいている大臣大将でも、一芸一能にすぐれていらっしゃらない方は、滅多 に若殿様の御眼にはかかれません。いや、たとい御眼にかかれたのにしても、御出でになる方々が、皆風流の才子ばかりでいらっしゃいますから、さすがに御身を御愧 じになって、自然御み足が遠くなってしまうのでございます。
その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような御褒美 を受けた事がございます。たとえば、ある秋の夜に、月の光が格子にさして、機織 りの声が致して居りました時、ふと人を御召しになると、新参の侍が参りましたが、どう思召したのか、急にその侍に御向いなすって、
「機織 りの声が致すのは、その方 にも聞えような。これを題に一首仕 れ。」と、御声がかりがございました。するとその侍は下 にいて、しばらく頭 を傾けて居りましたが、やがて、「青柳 の」と、初 の句を申しました。するとその季節に合わなかったのが、可笑 かったのでございましょう。女房たちの間には、忍び笑いの声が起りましたが、侍が続いて、
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は機織 りぞ啼く。」と、さわやかに詠じますと、たちまちそれは静まり返って、萩模様のある直垂 を一領、格子の間から月の光の中へ、押し出して下さいました。実はその侍と申しますのが、私 の姉の一人息子で、若殿様とは、ほぼ御年輩 も同じくらいな若者でございましたが、これを御奉公の初めにして、その後 も度々難有 い御懇意を受けたのでございます。
まず、若殿様の御平生 は、あらあらかようなものでございましょうか。その間に北の方 も御迎えになりましたし、年々の除目 には御官位も御進みになりましたが、そう云う事は世上の人も、よく存じている事でございますから、ここにはとり立てて申し上げません。それよりも先を急ぎますから、最初に御約束致しました通り、若殿様の御一生に、たった一度しかなかったと云う、不思議な出来事の御話へはいる事に致しましょう。と申しますのは、大殿様とは御違いになって、天 が下 の色ごのみなどと云う御渾名 こそ、御受けになりましたが、誠に御無事な御生涯で、そのほかには何一つ、人口に膾炙 するような御逸事と申すものも、なかったからでございます。
六
その御話のそもそもは、確か大殿様が御隠れになってから、五六年たった頃でございますが、丁度その時分若殿様は、前に申しあげました中御門 の少納言様の御一人娘で、評判の美しい御姫様へ、茂々 御文を書いていらっしゃいました。ただ今でもあの頃の御熱心だった御噂が、私 どもの口から洩れますと、若殿様はいつも晴々 と御笑いになって、
「爺よ。天 が下 は広しと云え、あの頃の予が夢中になって、拙 い歌や詩を作ったのは皆、恋がさせた業 じゃ。思えば狐 の塚を踏んで、物に狂うたのも同然じゃな。」と、まるで御自分を嘲るように、洒落 としてこう仰有 います。が、全く当時の若殿様は、それほど御平生に似もやらず、恋慕三昧 に耽って御出でになりました。
しかし、これは、あながち、若殿様御一人に限った事ではございません。あの頃の年若な殿上人 で、中御門 の御姫様に想 いを懸けないものと云ったら、恐らく御一方もございますまい。あの方が阿父様 の代から、ずっと御住みになっていらっしゃる、二条西洞院 の御屋形 のまわりには、そう云う色好みの方々が、あるいは車を御寄せになったり、あるいは御自身御拾いで御出でになったり、絶えず御通い遊ばしたものでございます。中には一夜 の中に二人まで、あの御屋形の梨 の花の下で、月に笛を吹いている立烏帽子 があったと云う噂も、聞き及んだ事がございました。
いや、現に一時は秀才の名が高かった菅原雅平 とか仰有る方も、この御姫様に恋をなすって、しかもその恋がかなわなかった御恨みから、俄 に世を御捨てになって、ただ今では筑紫 の果に流浪して御出でになるとやら、あるいはまた東海の波を踏んで唐土 に御渡りになったとやら、皆目御行方 が知れないと申すことでございます。この方などは若殿様とも、詩文の御交りの深かった御一人で、御消息などをなさる時は、若殿様を楽天 に、御自分を東坡 に比していらしったそうでございますが、そう云う風流第一の才子が、如何 に中御門の御姫様は御美しいのに致しましても、一旦の御歎きから御生涯を辺土に御送りなさいますのは、御不覚と申し上げるよりほかはございますまい。
が、また飜 って考えますと、これも御無理がないと思われるくらい、中御門の御姫様と仰有 る方は、御美しかったのでございます。私が一両度御見かけ申しました限でも、柳桜 をまぜて召して、錦に玉を貫いた燦 びやかな裳 の腰を、大殿油 の明い光に、御輝かせになりながら、御 も重そうにうち傾いていらしった、あのあでやかな御姿は一生忘れようもございますまい。しかもこの御姫様は御気象も並々ならず御闊達 でいらっしゃいましたから、なまじいな殿上人などは、思召しにかなう所か、すぐに本性 を御見透 しになって、とんと御寵愛 の猫も同様、さんざん御弄 りになった上、二度と再び御膝元へもよせつけないようになすってしまいました。
七
でございますからこの御姫様に、想 を懸けていらしった方々 の間には、まるで竹取 物語の中にでもありそうな、可笑 しいことが沢山ございましたが、中でも一番御気の毒だったのは京極 の左大弁様 で、この方 は京童 が鴉 の左大弁などと申し上げたほど、顔色が黒うございましたが、それでもやはり人情には変りもなく、中御門 の御姫様を恋い慕っていらっしゃいました。所がこの方は御利巧だと同時に、気の小さい御性質だったと見えまして、いかに御姫様を懐 しく思召しても、御自分の方からそれとは御打ち明けなすった事もございませんし、元よりまた御同輩の方にも、ついぞそれらしい事を口に出して、仰有 った例 はございません。しかし忍び忍びに御姫様の御顔を拝みに参ります事は、隠れない事でございますから、ある時、それを枷 にして、御同輩の誰彼が、手を換え品を換え、いろいろと問い落そうと御かかりになりました。すると鴉の左大弁様は、苦しまぎれの御一策に、
「いや、あれは何も私 が想 を懸けているばかりではない。実は姫の方からも、心ありげな風情 を見せられるので、ついつい足が茂くなるのだ。」と、こう御逃げになりました。しかもそれを誠らしく見せかけようと云う出来心から、御姫様から頂いた御文の文句や、御歌などを、ある事もない事も皆一しょに取つくろって、さも御姫様の方が心を焦 していらっしゃるように、御話しになったからたまりません。元より悪戯好 きな御同輩たちは、半信半疑でいらっしゃりながら、早速御姫様の偽手紙を拵 えて、折からの藤 の枝か何かにつけたまま、それを左大弁様の許へ御とどけになりました。
こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、慌 て御文を開けて見ますと、思いもよらず御姫様は、いかに左大弁様を思いわびてもとんとつれなく御もてなしになるから、所詮かなわぬ恋とあきらめて、尼法師 の境涯にはいると云う事が、いかにももの哀れに書いてあるではございませんか。まさかそうまで御姫様が、思いつめていらっしゃろうとは、夢にも思召 さなかったのでございますから、鴉の左大弁様は悲しいとも、嬉しいともつかない御心もちで、しばらくはただ、茫然と御文を前にひろげたまま、溜息 をついていらっしゃいました。が、何はともあれ、御眼にかかって、今まで胸にひそめていた想 のほども申し上げようと、こう思召したのでございましょう。丁度五月雨 の暮方でございましたが、童子を一人御伴に御つれになって、傘 をかざしながら、ひそかに二条西洞院 の御屋形まで参りますと、御門 は堅く鎖 してあって、いくら音なっても叩いても、開ける気色 はございません。そうこうする内に夜になって、人の往来 も稀な築土路 には、ただ、蛙 の声が聞えるばかり、雨は益 降りしきって、御召物も濡れれば、御眼も眩 むと云う情ない次第でございます。
それがほど経てから、御門の扉が、やっと開いたと思いますと、平太夫 と申します私 くらいの老侍 が、これも同じような藤の枝に御文を結んだのを渡したなり、無言でまた、その扉をぴたりと閉めてしまいました。
そこで泣く泣く御立ち帰りになって、その御文を開けて御覧になると、一首の古歌がちらし書きにしてあるだけで、一言もほかには御便りがございません。
思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし
これは云うまでもなく御姫様が、悪戯 好きの若殿原から、細々 と御消息で、鴉 の左大弁様の心なしを御承知になっていたのでございます。
八
こう御話し致しますと、中には世の常の姫君たちに引き比べて、この御姫様の御行状 を、嘘のように思召す方もいらっしゃいましょうが、現在私が御奉公致している若殿様の事を申し上げながら、何もそのような空事 をさし加えよう道理はございません。その頃洛中 で評判だったのは、この御姫様ともう御一方、これは虫が大御好きで、長虫 までも御飼いになったと云う、不思議な御姫様がございました。この後 の御姫様の事は、全くの余談でございますから、ここには何も申し上げますまい。が、中御門 の御姫様は、何しろ御両親とも御隠れになって、御屋形にはただ、先刻御耳に入れました平太夫 を頭 にして、御召使の男女 が居りますばかり、それに御先代から御有福で、何御不自由もございませんでしたから、自然御美しいのと、御闊達なのとに御任せなすって、随分世を世とも思わない、御放胆な真似もなすったのでございます。
そこで噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北の方 と大殿様との間に御生まれなすったので、父君の御隠れなすったのも、恋の遺恨 で大殿様が毒害遊ばしたのだなどと申す輩 も出て来るのでございましょう。しかし少納言様の急に御歿 くなりになった御話は、前に一応申上げました通り、さらにそのような次第ではございませんから、その噂は申すまでもなく、皆跡方 のない嘘でございます。さもなければ若殿様も、決してあれほどまでは御姫様へ、心を御寄せにはなりますまい。
何でも私が人伝 に承 わりました所では、初めはいくら若殿様の方で御熱心でも、御姫様は反 って誰よりも、素気 なく御もてなしになったとか申す事でございます。いや、そればかりか、一度などは若殿様の御文を持って上った私の甥 に、あの鴉の左大弁様同様、どうしても御門の扉を御開けにならなかったとかでございました。しかもあの平太夫 が、なぜか堀川の御屋形のものを仇 のように憎みまして、その時も梨の花に、うらうらと春日 が っている築地 の上から白髪頭 を露 して、檜皮 の狩衣 の袖をまくりながら、推しても御門を開こうとする私の甥に、
「やい、おのれは昼盗人 か。盗人とあれば容赦 はせぬ。一足でも門内にはいったが最期 、平太夫が太刀 にかけて、まっ二つに斬って捨てるぞ。」と、噛みつくように喚 きました。もしこれが私でございましたら、刃傷沙汰 にも及んだでございましょうが、甥はただ、道ばたの牛の糞 を礫 代りに投げつけただけで、帰って来たと申して居りました。かような次第でございますから、元より御文が無事に御手許にとどいても、とんと御返事と申すものは頂けません。が、若殿様は、一向それにも御頓着なく、三日にあげず、御文やら御歌やら、あるいはまた結構な絵巻やらを、およそものの三月あまりも、根気よく御遣 しになりました。さればこそ、日頃も仰有 る通り、「あの頃の予が夢中になって、拙 い歌や詩を作ったのは、皆恋がさせた業 じゃ。」に、少しも違いはなかったのでございます。
九
丁度その頃の事でございます。洛中 に一人の異形 な沙門 が現れまして、とんと今までに聞いた事のない、摩利 の教と申すものを説き弘 め始めました。これも一時随分評判でございましたから、中には御聞き及びの方 もいらっしゃる事でございましょう。よくものの草紙などに、震旦 から天狗 が渡ったと書いてありますのは、丁度あの染殿 の御后 に鬼が憑 いたなどと申します通り、この沙門の事を譬 えて云ったのでございます。
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の昼中 だったかと存じますが、何か用足しに出ました帰りに、神泉苑 の外を通りかかりますと、あすこの築土 を前にして、揉烏帽子 やら、立烏帽子 やら、あるいはまたもの見高い市女笠 やらが、数 にしておよそ二三十人、中には竹馬に跨った童部 も交って、皆一塊 になりながら、罵 り騒いでいるのでございます。さてはまた、福徳の大神 に祟られた物狂いでも踊っているか、さもなければ迂闊 な近江商人 が、魚盗人 に荷でも攫 われたのだろうと、こう私は考えましたが、あまりその騒ぎが仰々 しいので、何気 なく後 からそっと覗 きこんで見ますと、思いもよらずその真中 には、乞食 のような姿をした沙門が、何か頻 にしゃべりながら、見慣れぬ女菩薩 の画像 を掲げた旗竿を片手につき立てて、佇 んでいるのでございました。年の頃はかれこれ三十にも近うございましょうか、色の黒い、眼のつり上った、いかにも凄じい面 がまえで、着ているものこそ、よれよれになった墨染の法衣 でございますが、渦を巻いて肩の上まで垂れ下った髪の毛と申し、頸 にかけた十文字の怪しげな黄金 の護符 と申し、元より世の常の法師 ではございますまい。それが、私の覗 きました時は、流れ風に散る神泉苑の桜の葉を頭から浴びて、全く人間と云うよりも、あの智羅永寿 の眷属 が、鳶 の翼を法衣 の下に隠しているのではないかと思うほど、怪しい姿に見うけられました。
するとその時、私の側にいた、逞しい鍛冶 か何かが、素早く童部 の手から竹馬をひったくって、
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと吐 したな。」と、噛みつくように喚きながら、斜 に相手の面 を打ち据えました。が、打たれながらも、その沙門 は、にやりと気味の悪い微笑を洩らしたまま、いよいよ高く女菩薩 の画像 を落花の風に飜 して、
「たとい今生 では、いかなる栄華 を極めようとも、天上皇帝の御教 に悖 るものは、一旦命終 の時に及んで、たちまち阿鼻叫喚 の地獄に堕 ち、不断の業火 に皮肉を焼かれて、尽未来 まで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝の遺 された、摩利信乃法師 に笞 を当つるものは、命終の時とも申さず、明日 が日にも諸天童子の現罰を蒙って、白癩 の身となり果てるぞよ。」と、叱りつけたではございませんか。この勢いに気を呑まれて、私は元より当の鍛冶 まで、しばらくはただ、竹馬を戟 にしたまま、狂おしい沙門の振舞を、呆れてじっと見守って居りました。
十
が、それはほんの僅の間 で、鍛冶 はまた竹馬 をとり直しますと、
「まだ雑言 をやめ居らぬか。」と、恐ろしい権幕 で罵りながら、矢庭 に沙門 へとびかかりました。
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の面 を打ち据えたと、思わなかったものはございません。いや、実際竹馬は、あの日の焦 けた頬に、もう一すじ蚯蚓腫 の跡を加えたようでございます。が、横なぐりに打ち下した竹馬が、まだ青い笹の葉に落花を掃 ったと思うが早いか、いきなり大地 にどうと倒れたのは、沙門ではなくて、肝腎の鍛冶の方でございました。
これに辟易 した一同は、思わず逃腰 になったのでございましょう。揉烏帽子 も立 烏帽子も意気地なく後 を見せて、どっと沙門のまわりを離れましたが、見ると鍛冶は、竹馬を持ったまま、相手の足もとにのけぞり返って、口からはまるで癲癇病 みのように白い泡さえも噴いて居ります。沙門はしばらくその呼吸を窺っているようでございましたが、やがてその瞳を私どもの方へ返しますと、
「見られい。わしの云うた事に、偽 りはなかったろうな。諸天童子は即座にこの横道者 を、目に見えぬ剣 で打たせ給うた。まだしも頭 が微塵に砕けて、都大路 に血をあやさなんだのが、時にとっての仕合せと云わずばなるまい。」と、さも横柄 に申しました。
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた童部 が一人、切禿 の髪を躍らせながら、倒れている鍛冶 の傍へ、転がるように走り寄ったのは。
「阿父 さん。阿父さんてば。よう。阿父さん。」
童部 はこう何度も喚 きましたが、鍛冶はさらに正気 に還る気色 もございません。あの唇にたまった泡さえ、不相変 花曇りの風に吹かれて、白く水干 の胸へ垂れて居ります。
「阿父さん。よう。」
童部 はまたこう繰り返しましたが、鍛冶が返事をしないのを見ると、たちまち血相を変えて、飛び立ちながら、父の手に残っている竹馬を両手でつかむが早いか、沙門を目がけて健気 にも、まっしぐらに打ってかかりました。が、沙門はその竹馬を、持っていた画像 の旗竿で、事もなげに払いながら、またあの気味の悪い笑 を洩らしますと、わざと柔 しい声を出して、「これは滅相な。御主 の父親 が気を失ったのは、この摩利信乃法師 がなせる業 ではないぞ。さればわしを窘 めたとて、父親が生きて返ろう次第はない。」と、たしなめるように申しました。
その道理が童部 に通じたと云うよりは、所詮この沙門と打ち合っても、勝てそうもないと思ったからでございましょう。鍛冶の小伜は五六度竹馬を振りまわした後で、べそを掻いたまま、往来のまん中へ立ちすくんでしまいました。
十一
摩利信乃法師 はこれを見ると、またにやにや微笑 みながら、童部 の傍 へ歩みよって、
「さても御主 は、聞分けのよい、年には増した利発な子じゃ。そう温和 しくして居 れば、諸天童子も御主にめでて、ほどなくそこな父親 も正気 に還して下されよう。わしもこれから祈祷 しょうほどに、御主もわしを見慣うて、天上皇帝の御慈悲に御すがり申したがよかろうぞ。」
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に抱 きながら、大路 のただ中に跪 いて、恭 しげに頭を垂れました。そうして眼をつぶったまま、何やら怪しげな陀羅尼 のようなものを、声高 に誦 し始めました。それがどのくらいつづいた事でございましょう。沙門のまわりに輪を作って、この不思議な加持 のし方を眺めている私どもには、かれこれものの半時もたったかと思われるほどでございましたが、やがて沙門が眼を開いて、脆いたなり伸ばした手を、鍛冶 の顔の上へさしかざしますと、見る見る中にその顔が、暖かく血の色を盛返して、やがて苦しそうな呻 り声さえ、例の泡だらけな口の中から、一しきり長く溢れて参りました。
「やあ、阿父 さんが、生き返った。」
童部 は竹馬を抛り出すと、嬉しそうに小躍りして、また父親の傍へ走りよりました。が、その手で抱 き起されるまでもなく、呻り声を洩らすとほとんど同時に、鍛冶はまるで酒にでも酔ったかと思うような、覚束ない身のこなしで、徐 に体を起しました。すると沙門はさも満足そうに、自分も悠然と立ち上って、あの女菩薩 の画像 を親子のものの頭 の上に、日を蔽う如くさしかざすと、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、厳 かにこう申しました。
鍛冶の親子は互にしっかり抱 き合いながら、まだ土の上に蹲 って居りましたが、沙門の法力 の恐ろしさには、魂も空にけし飛んだのでございましょう。女菩薩の幢 を仰ぎますと、二人とも殊勝げな両手を合せて、わなわな震えながら、礼拝 いたしました。と思うとつづいて二三人、まわりに立っている私どもの中にも、笠を脱いだり、烏帽子を直したりして、画像 を拝んだものが居ったようでございます。ただ私は何となく、その沙門や女菩薩の画像が、まるで魔界の風に染んでいるような、忌 わしい気が致しましたから、鍛冶が正気に還ったのを潮 に、々 その場を立ち去ってしまいました。
後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、震旦 から渡って参りました、あの摩利 の教と申すものだそうで、摩利信乃法師 と申します男も、この国の生れやら、乃至 は唐土 に人となったものやら、とんと確かなことはわからないと云う事でございました。中にはまた、震旦でも本朝でもない、天竺 の涯 から来た法師で、昼こそあのように町を歩いているが、夜は墨染の法衣 が翼になって、八阪寺 の塔の空へ舞上るなどと云う噂もございましたが、元よりそれはとりとめもない、嘘だったのでございましょう。が、さような噂が伝わりましたのも、一応はもっともかと存じられますくらい、この摩利信乃法師の仕業には、いろいろ幻妙な事が多かったのでございます。
十二
と申しますのは、まず第一に摩利信乃法師 が、あの怪しげな陀羅尼 の力で、瞬く暇に多くの病者を癒 した事でございます。盲目 が見えましたり、跛 が立ちましたり、唖 が口をききましたり――一々数え立てますのも、煩わしいくらいでございますが、中でも一番名高かったのは、前 の摂津守 の悩んでいた人面瘡 ででもございましょうか。これは甥 を遠矢にかけて、その女房を奪ったとやら申す報 から、左の膝頭にその甥の顔をした、不思議な瘡 が現われて、昼も夜も骨を刻 るような業苦 に悩んで居りましたが、あの沙門の加持 を受けますと、見る間にその顔が気色 を和 げて、やがて口とも覚しい所から「南無 」と云う声が洩れるや否や、たちまち跡方 もなく消え失せたと申すのでございます。元よりそのくらいでございますから、狐の憑 きましたのも、天狗の憑 きましたのも、あるいはまた、何とも名の知れない、妖魅鬼神 の憑きましたのも、あの十文字 の護符を頂きますと、まるで木 の葉を食う虫が、大風にでも振われて落ちるように、すぐさま落ちてしまいました。
が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を誹謗 したり、その信者を呵責 したり致しますと、あの沙門は即座にその相手に、恐ろしい神罰を祈り下しました。おかげで井戸の水が腥 い血潮に変ったものもございますし、持 ち田 の稲を一夜 の中に蝗 が食ってしまったものもございますが、あの白朱社 の巫女 などは、摩利信乃法師を祈り殺そうとした応報で、一目見るのさえ気味の悪い白癩 になってしまったそうでございます。そこであの沙門は天狗の化身 だなどと申す噂が、一層高くなったのでございましょう。が、天狗ならば一矢に射てとって見せるとか申して、わざわざ鞍馬の奥から参りました猟師も、例の諸天童子の剣 にでも打たれたのか、急に目がつぶれた揚句 、しまいには摩利の教の信者になってしまったとか申す事でございました。
そう云う勢いでございますから、日が経 るに従って、信者になる老若男女 も、追々数を増して参りましたが、そのまた信者になりますには、何でも水で頭 を濡 すと云う、灌頂 めいた式があって、それを一度すまさない中は、例の天上皇帝に帰依 した明りが立ち兼 ねるのだそうでございます。これは私の甥が見かけたことでございますが、ある日四条の大橋を通りますと、橋の下の河原に夥 しい人だかりが致して居りましたから、何かと存じて覗 きました所、これもやはり摩利信乃法師が東国者らしい侍に、その怪しげな灌頂の式を授けて居 るのでございました。何しろ折からの水が温 んで、桜の花も流れようと云う加茂川へ、大太刀を佩 いて畏 った侍と、あの十文字の護符を捧げている異形 な沙門とが影を落して、見慣れない儀式を致していたと申すのでございますから、余程面白い見物 でございましたろう。――そう云えば、前に申し上げる事を忘れましたが、摩利信乃法師は始めから、四条河原の非人 小屋の間へ、小さな蓆張 りの庵 を造りまして、そこに始終たった一人、佗 しく住んでいたのでございます。
十三
そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、予 て御心を寄せていらしった中御門 の御姫様と、親しい御語いをなさる事が御出来なさるように相成りました。その思いもよらない事と申しますのは、もう花橘 の と時鳥 の声とが雨もよいの空を想 わせる、ある夜の事でございましたが、その夜は珍しく月が出て、夜目にも、朧 げには人の顔が見分けられるほどだったと申します。若殿様はある女房の所へ御忍びになった御帰り途で、御供の人数 も目立たないように、僅か一人か二人御召連れになったまま、その明るい月の中を車でゆっくりと御出でになりました。が、何しろ時刻が遅いので、人っ子一人通らない往来には、遠田 の蛙 の声と、車の輪の音とが聞えるばかり、殊にあの寂しい美福門 の外は、よく狐火の燃える所だけに、何となく鬼気が身に迫って、心無い牛の歩みさえ早くなるような気が致されます。――そう思うと、急に向うの築土 の陰で、怪しい咳 の声がするや否や、きらきらと白刃 を月に輝かせて、盗人と覚しい覆面の男が、左右から凡そ六七人、若殿様の車を目がけて、猛々 しく襲いかかりました。
と同時に牛飼 の童部 を始め、御供の雑色 たちは余りの事に、魂も消えるかと思ったのでございましょう。驚破 と云う間もなく、算 を乱して、元来た方へ一散に逃げ出してしまいました。が、盗人たちはそれには目もくれる気色 もなく、矢庭 に一人が牛の を取って、往来のまん中へぴたりと車を止めるが早いか、四方から白刃 の垣を造って、犇々 とそのまわりを取り囲みますと、先ず頭立 ったのが横柄に簾 を払って、「どうじゃ。この殿に違いはあるまいな。」と、仲間の方を振り向きながら、念を押したそうでございます。その容子 がどうも物盗りとも存ぜられませんので、御驚きの中にも若殿様は不審に思召されたのでございましょう。それまでじっとしていらっしったのが、扇を斜 に相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中に嗄 れた声がして、
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、憎々 しげに答えました。するとその声が、また何となくどこかで一度、御耳になすったようでございましたから、愈 怪しく思召して、明るい月の光に、その声の主 を、きっと御覧になりますと、面 こそ包んで居りますが、あの中御門の御姫様に年久しく御仕え申している、平太夫 に相違はございません。この一刹那はさすがの若殿様も、思わず総身 の毛がよだつような、恐ろしい思いをなすったと申す事でございました。なぜと申しますと、あの平太夫が堀川の御一家 を仇 のように憎んでいる事は、若殿様の御耳にも、とうからはいっていたからでございます。
いや、現にその時も、平太夫がそう答えますと、さっきの盗人は一層声を荒 げて、太刀の切先 を若殿様の御胸に向けながら、
「さらば御命 を申受けようず。」と罵ったと申すではございませんか。
十四
しかしあの飽くまでも、物に御騒ぎにならない若殿様は、すぐに勇気を御取り直しになって、悠々と扇を御弄 びなさりながら、
「待て。待て。予の命が欲しくば、次第によって呉れてやらぬものでもない。が、その方どもは、何でそのようなものを欲しがるのじゃ。」と、まるで人事のように御尋ねになりました。すると頭立 った盗人は、白刃 を益 御胸へ近づけて、
「中御門 の少納言殿は、誰故の御最期 じゃ。」
「予は誰やら知らぬ。が、予でない事だけは、しかとした証 もある。」
「殿か、殿の父君か。いずれにしても、殿は仇 の一味じゃ。」
頭立った一人がこう申しますと、残りの盗人どもも覆面の下で、
「そうじゃ。仇の一味じゃ。」と、声々に罵り交しました。中にもあの平太夫 は歯噛みをして、車の中を獣のように覗きこみながら、太刀 で若殿様の御顔を指さしますと、
「さかしらは御無用じゃよ。それよりは十念 なと御称え申されい。」と、嘲笑 うような声で申したそうでございます。
が、若殿様は相不変 落ち着き払って、御胸の先の白刃も見えないように、
「してその方たちは、皆少納言殿の御内 のものか。」と、抛 り出すように御尋ねなさいました。すると盗人たちは皆どうしたのか、一しきり答にためらったようでございましたが、その気色 を見てとった平太夫は、透かさず声を励まして、
「そうじゃ。それがまた何と致した。」
「いや、何とも致さぬが、もしこの中に少納言殿の御内 でないものがいたと思え。そのものこそは天 が下 の阿呆 ものじゃ。」
若殿様はこう仰有 って、美しい歯を御見せになりながら、肩を揺 って御笑いになりました。これには命知らずの盗人たちも、しばらくは胆 を奪われたのでございましょう。御胸に迫っていた太刀先さえ、この時はもう自然と、車の外の月明りへ引かれていたと申しますから。
「なぜと申せ。」と、若殿様は言葉を御継ぎになって、「予を殺害 した暁には、その方どもはことごとく検非違使 の目にかかり次第、極刑 に行わるべき奴ばらじゃ。元よりそれも少納言殿の御内のものなら、己 が忠義に捨つる命じゃによって、定めて本望に相違はあるまい。が、さもないものがこの中にあって、わずかばかりの金銀が欲しさに、予が身を白刃に向けるとすれば、そやつは二つとない大事な命を、その褒美 と換えようず阿呆ものじゃ。何とそう云う道理ではあるまいか。」
これを聞いた盗人たちは、今更のように顔を見合せたけはいでございましたが、平太夫 だけは独り、気違いのように吼 り立って、
「ええ、何が阿呆ものじゃ。その阿呆ものの太刀にかかって、最期 を遂げる殿の方が、百層倍も阿呆ものじゃとは覚されぬか。」
「何、その方どもが阿呆ものだとな。ではこの中 に少納言殿の御内でないものもいるのであろう。これは一段と面白うなって参った。さらばその御内でないものどもに、ちと申し聞かす事がある。その方どもが予を殺害しようとするのは、全く金銀が欲しさにする仕事であろうな。さて金銀が欲しいとあれば、予はその方どもに何なりと望み次第の褒美を取らすであろう。が、その代り予の方にもまた頼みがある。何と、同じ金銀のためにする事なら、褒美の多い予の方に味方して、利得を計ったがよいではないか。」
若殿様は鷹揚 に御微笑なさりながら、指貫 の膝を扇で御叩きになって、こう車の外の盗人どもと御談じになりました。
十五
「次第によっては、御意 通り仕 らぬものでもございませぬ。」
恐ろしいくらいひっそりと静まり返っていた盗人たちの中から、頭 だったのが半 恐る恐るこう御答え申し上げますと、若殿様は御満足そうに、はたはたと扇を御鳴らしになりながら、例の気軽な御調子で、
「それは重畳 じゃ。何、予が頼みと申しても、格別むずかしい儀ではない。それ、そこに居 る老爺 は、少納言殿の御内人 で、平太夫 と申すものであろう。巷 の風聞 にも聞き及んだが、そやつは日頃予に恨みを含んで、あわよくば予が命を奪おうなどと、大それた企てさえ致して居 ると申す事じゃ。さればその方どもがこの度の結構も、平太夫めに唆 されて、事を挙げたのに相違あるまい。――」
「さようでございます。」
これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
「そこで予が頼みと申すのは、その張本 の老爺 を搦 めとって、長く禍の根を断ちたいのじゃが、何とその方どもの力で、平太夫めに縄をかけてはくれまいか。」
この御仰 せには、盗人たちも、余りの事にしばらくの間は、呆れ果てたのでございましょう。車をめぐっていた覆面の頭 が、互に眼を見合わしながら、一しきりざわざわと動くようなけはいがございましたが、やがてそれがまた静かになりますと、突然盗人たちの唯中から、まるで夜鳥 の鳴くような、嗄 れた声が起りました。
「やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば己 れらが手は借りぬわ。高がこの殿の命一つ、平太夫が太刀ばかりで、見事申し受けようも、瞬く暇じゃ。」
こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで蝗 か何かのように、四方から平太夫へ躍りかかりました。何しろ多勢 に無勢 と云い、こちらは年よりの事でございますから、こうなっては勝負を争うまでもございません。たちまちの内にあの老爺 は、牛の でございましょう、有り合せた縄にかけられて、月明りの往来へ引き据えられてしまいました。その時の平太夫の姿と申しましたら、とんと穽 にでもかかった狐のように、牙ばかりむき出して、まだ未練らしく喘 ぎながら、身悶えしていたそうでございます。
するとこれを御覧になった若殿様は、欠伸 まじりに御笑いになって、
「おお、大儀。大儀。それで予の腹も一先 癒えたと申すものじゃ。が、とてもの事に、その方どもは、予が車を警護旁 、そこな老耄 を引き立て、堀川の屋形 まで参ってくれい。」
こう仰有 られて見ますと盗人たちも、今更いやとは申されません。そこで一同うち揃って、雑色 がわりに牛を追いながら、縄つきを中にとりまいて、月夜にぞろぞろと歩きはじめました。天 が下 は広うございますが、かように盗人どもを御供に御つれ遊ばしたのは、まず若殿様のほかにはございますまい。もっともこの異様な行列も、御屋形まで参りつかない内に、急を聞いて駆けつけた私どもと出会いましたから、その場で面々御褒美を頂いた上、こそこそ退散致してしまいました。
十六
さて若殿様は平太夫 を御屋形へつれて御帰りになりますと、そのまま、御厩 の柱にくくりつけて、雑色 たちに見張りを御云いつけなさいましたが、翌朝は々 あの老爺 を、朝曇りの御庭先へ御召しになって、
「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の御恨 を晴そうと致す心がけは、成程愚 には相違ないが、さればとてまた、神妙とも申されぬ事はない。殊にあの月夜に、覆面の者どもを駆り催して、予を殺害 致そうと云う趣向のほどは、中々その方づれとも思われぬ風流さじゃ。が、美福門のほとりは、ちと場所がようなかったぞ。ならば糺 の森あたりの、老木 の下闇に致したかった。あすこは夏の月夜には、せせらぎの音が間近く聞えて、卯 の花の白く仄 くのも一段と風情 を添える所じゃ。もっともこれはその方づれに、望む予の方が、無理かも知れぬ。ついてはその殊勝なり、風流なのが目出たいによって、今度ばかりはその方の罪も赦 してつかわす事にしよう。」
こう仰有 って若殿様は、いつものように晴々と御笑いになりながら、
「その代りその方も、折角これまで参ったものじゃ。序 ながら予の文を、姫君のもとまで差上げてくれい。よいか。しかと申しつけたぞ。」
私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、苦 りきった面色 が、泣くとも笑うともつかない気色 を浮かべて、眼ばかりぎょろぎょろ忙 しそうに、働かせて居 るのでございます。するとその容子 が、笑止 ながら気の毒に思召されたのでございましょう。若殿様は御笑顔 を御やめになると、縄尻を控えていた雑色 に、
「これ、これ、永居は平太夫の迷惑じゃ。すぐさま縄目を許してつかわすがよい。」と、難有 い御諚 がございました。
それから間もなくの事でございます。一夜の内に腰さえ弓のように曲った平太夫は、若殿様の御文をつけた花橘 の枝を肩にして、這々 裏の御門から逃げ出して参りました。所がその後からまた一人、そっと御門を出ましたのは、私の甥 の侍で、これは万一平太夫が御文に無礼でも働いてはならないと、若殿様にも申し上げず、見え隠れにあの老爺 の跡をつけたのでございます。
二人の間はおよその所、半町ばかりもございましたろうか。平太夫は気も心も緩みはてたかと思うばかり、跣足 を力なくひきずりながら、まだ雲切れのしない空に柿若葉の のする、築土 つづきの都大路 を、とぼとぼと歩いて参ります。途々通りちがう菜売りの女などが、稀有 な文使 いだとでも思いますのか、迂散 らしくふり返って、見送るものもございましたが、あの老爺 はとんとそれにも目をくれる気色 はございません。
この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度油小路 へ出ようと云う、道祖 の神の祠 の前で、折からあの辻をこちらへ曲って出た、見慣れない一人の沙門 が、出合いがしらに平太夫と危くつき当りそうになりました。女菩薩 の幢 、墨染の法衣 、それから十文字の怪しい護符、一目見て私の甥は、それが例の摩利信乃法師だと申す事に、気がついたそうでございます。
十七
危くつき当りそうになった摩利信乃法師 は、咄嗟 に身を躱 しましたが、なぜかそこに足を止めて、じっと平太夫 の姿を見守りました。が、あの老爺 はとんとそれに頓着する容子 もなく、ただ、二三歩譲っただけで、相不変 とぼとぼと寂しい歩みを運んで参ります。さてはさすがの摩利信乃法師も、平太夫の異様な風俗を、不審に思ったものと見えると、こう私の甥は考えましたが、やがてその側まで参りますと、まだ我を忘れたように、道祖 の神の祠 を後 にして、佇 んでいる沙門の眼 なざしが、いかに天狗の化身 とは申しながら、どうも唯事とは思われません。いや、反 ってその眼なざしには、いつもの気味の悪い光がなくて、まるで涙ぐんででもいるような、もの優しい潤いが、漂っているのでございます。それが祠の屋根へ枝をのばした、椎の青葉の影を浴びて、あの女菩薩の旗竿を斜 に肩へあてながら、しげしげ向うを見送っていた立ち姿の寂しさは、一生の中にたった一度、私の甥にもあの沙門を懐しく思わせたとか申す事でございました。
が、その内に私の甥の足音に驚かされたのでございましょう。摩利信乃法師は夢のさめたように、慌しくこちらを振り向きますと、急に片手を高く挙げて、怪しい九字 を切りながら、何か咒文 のようなものを口の内に繰返して、々 歩きはじめました。その時の咒文の中に、中御門 と云うような語 が聞えたと申しますが、それは事によると私の甥の耳のせいだったかもわかりません。元よりその間も平太夫の方は、やはり花橘の枝を肩にして、側目 もふらず悄々 と歩いて参ったのでございます。そこでまた私の甥も、見え隠れにその跡をつけて、とうとう西洞院 の御屋形まで参ったそうでございますが、時にあの摩利信乃法師の不思議な振舞が気になって、若殿様の御文の事さえ、はては忘れそうになったくらい、落着かない心もちに苦しめられたとか申して居りました。
しかしその御文は恙 なく、御姫様の御手もとまでとどいたものと見えまして、珍しくも今度に限って早速御返事がございました。これは私ども下々 には、何とも確かな事は申し上げる訳に参りませんが、恐らくは御承知の通り御闊達な御姫様の事でございますから、平太夫からあの暗討 ちの次第でも御聞きになって、若殿様の御 気象の人に優れていらっしゃるのを、始めて御会得 になったからででもございましょうか。それから二三度、御消息を御取り交 せになった後、とうとうある小雨 の降る夜、若殿様は私の甥を御供に召して、もう葉柳の陰に埋もれた、西洞院 の御屋形へ忍んで御通いになる事になりました。こうまでなって見ますと、あの平太夫もさすがに我 が折れたのでございましょう。その夜も険しく眉をひそめて居りましたが、私の甥に向いましても、格別雑言 などを申す勢いはなかったそうでございます。
十八
その後 若殿様はほとんど夜毎に西洞院 の御屋形へ御通いになりましたが、時には私のような年よりも御供に御召しになった事がございました。私が始めてあの御姫様の、眩しいような御美しさを拝む事が出来ましたのも、そう云う折ふしの事でございます。一度などは御二人で、私を御側近く御呼びよせなさりながら、今昔 の移り変りを話せと申す御意もございました。確か、その時の事でございましょう。御簾 のひまから見える御池の水に、さわやかな星の光が落ちて、まだ散り残った藤 の がかすかに漂って来るような夜でございましたが、その涼しい夜気の中に、一人二人の女房を御侍 らせになって、もの静に御酒盛をなすっていらっしゃる御二方の美しさは、まるで倭絵 の中からでも、抜け出していらしったようでございました。殊に白い単衣襲 に薄色の袿 を召した御姫様の清らかさは、おさおさあの赫夜姫 にも御劣りになりはしますまい。
その内に御酒機嫌 の若殿様が、ふと御姫様の方へ御向いなさりながら、
「今も爺 の申した通り、この狭い洛中でさえ、桑海 の変 は度々 あった。世間一切の法はその通り絶えず生滅遷流 して、刹那も住 すと申す事はない。されば無常経 にも『未四曾有三一事不レ被二無常呑一 』と説かせられた。恐らくはわれらが恋も、この掟ばかりは逃れられまい。ただいつ始まっていつ終るか、予が気がかりなのはそれだけじゃ。」と、冗談のように仰有 いますと、御姫様はとんと拗 ねたように、大殿油 の明るい光をわざと御避けになりながら、
「まあ、憎らしい事ばかり仰有 います。ではもう始めから私 を、御捨てになる御心算 でございますか。」と、優しく若殿様を御睨 みなさいました。が、若殿様は益 御機嫌よく、御盃を御干しになって、
「いや、それよりも始めから、捨てられる心算 で居 ると申した方が、一層予の心もちにはふさわしいように思われる。」
「たんと御弄 り遊ばしまし。」
御姫様はこう仰有って、一度は愛くるしく御笑いになりましたが、急にまた御簾 の外の夜色 へ、うっとりと眼を御やりになって、
「一体世の中の恋と申すものは、皆そのように果 ないものでございましょうか。」と独り語 のように仰有いました。すると若殿様はいつもの通り、美しい歯を見せて、御笑いになりながら、
「されば果 なくないとも申されまいな。が、われら人間が万法 の無常も忘れはてて、蓮華蔵 世界の妙薬をしばらくしたりとも味わうのは、ただ、恋をしている間だけじゃ。いや、その間だけは恋の無常さえ忘れていると申してもよい。じゃによって予が眼からは恋慕三昧 に日を送った業平 こそ、天晴 知識じゃ。われらも穢土 の衆苦を去って、常寂光 の中に住 そうには伊勢物語をそのままの恋をするよりほかはあるまい。何と御身 もそうは思われぬか。」と、横合いから御姫様の御顔を御覗きになりました。
十九
「されば恋の功徳 こそ、千万無量とも申してよかろう。」
やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、
「何と、爺 もそう思うであろうな。もっともその方には恋とは申さぬ。が、好物 の酒ではどうじゃ。」
「いえ、却々 持ちまして、手前は後生 が恐ろしゅうございます。」
私が白髪 を掻きながら、慌ててこう御答え申しますと、若殿様はまた晴々と御笑いになって、
「いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、彼岸 に往生しょうと思う心は、それを暗夜 の燈火 とも頼んで、この世の無常を忘れようと思う心には変りはない。じゃによってその方も、釈教 と恋との相違こそあれ、所詮は予と同心に極 まったぞ。」
「これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、伎芸天女 も及ばぬほどではございますが、恋は恋、釈教は釈教、まして好物の御酒 などと、一つ際 には申せませぬ。」
「そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。弥陀 も女人 も、予の前には、皆われらの悲しさを忘れさせる傀儡 の類いにほかならぬ。――」
こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は偸 むように、ちらりとその方を御覧になりながら、
「それでも女子 が傀儡では、嫌じゃと申しは致しませぬか。」と、小さな御声で仰有いました。
「傀儡 で悪くば、仏菩薩 とも申そうか。」
若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと大殿油 の火影 を御覧になると、
「昔、あの菅原雅平 と親 ゅう交っていた頃にも、度々このような議論を闘わせた。御身も知って居 られようが、雅平 は予と違って、一図に信を起し易い、云わば朴直な生れがらじゃ。されば予が世尊金口 の御経 も、実は恋歌 と同様じゃと嘲笑 う度に腹を立てて、煩悩外道 とは予が事じゃと、再々悪 しざまに罵り居った。その声さえまだ耳にあるが、当の雅平は行方 も知れぬ。」と、いつになく沈んだ御声でもの思わしげに御呟 きなさいました。するとその御容子 にひき入れられたのか、しばらくの間は御姫様を始め、私までも口を噤 んで、しんとした御部屋の中には藤の花の ばかりが、一段と高くなったように思われましたが、それを御座 が白けたとでも、思ったのでございましょう。女房たちの一人が恐る恐る、
「では、この頃洛中に流行 ります摩利の教とやら申すのも、やはり無常を忘れさせる新しい方便なのでございましょう。」と、御話の楔 を入れますと、もう一人の女房も、
「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。」と、さも気味悪そうに申しながら、大殿油 の燈心をわざとらしく掻立 てました。
二十
「何、摩利 の教。それはまた珍しい教があるものじゃ。」
何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
「摩利と申すからは、摩利支天 を祭る教のようじゃな。」
「いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ女菩薩 の姿じゃと申す事でございます。」
「では、波斯匿王 の妃 の宮であった、茉利 夫人の事でも申すと見える。」
そこで私は先日神泉苑の外 で見かけました、摩利信乃法師 の振舞を逐一御話し申し上げてから、
「その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の御像 にも似ていないのでございます。別してあの赤裸 の幼子 を抱 いて居 るけうとさは、とんと人間の肉を食 む女夜叉 のようだとも申しましょうか。とにかく本朝には類 のない、邪宗の仏 に相違ございますまい。」と、私の量見を言上致しますと、御姫様は美しい御眉 をそっと御ひそめになりながら、
「そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の化身 のように見えたそうな。」と、念を押すように御尋ねなさいました。
「さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に羽搏 って出て来たようでございますが、よもやこの洛中に、白昼さような変化 の物が出没致す事はございますまい。」
すると若殿様はまた元のように、冴々 した御笑声 で、
「いや、何とも申されぬ。現に延喜 の御門 の御代 には、五条あたりの柿の梢に、七日 の間天狗が御仏 の形となって、白毫光 を放ったとある。また仏眼寺 の仁照阿闍梨 を日毎に凌 じに参ったのも、姿は女と見えたが実は天狗じゃ。」
「まあ、気味の悪い事を仰有 います。」
御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、襲 の袖を合せましたが、若殿様は、愈御酒 機嫌の御顔を御和 げになって、
「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の智慧 で、ないと申される事は一つもない。たとえばその沙門に化けた天狗が、この屋形の姫君に心を懸けて、ある夜ひそかに破風 の空から、爪だらけの手をさしのべようも、全くない事じゃとは誰も云えぬ。が、――」と仰有 りながら、ほとんど色も御変りにならないばかり、恐ろしげに御寄りそいになった御姫様の袿 の背を、やさしく御さすりになりながら、
「が、まだその摩利信乃法師とやらは、幸 い、姫君の姿さえ垣間見 た事もないであろう。まず、それまでは魔道の恋が、成就する気づかいはよもあるまい。さればもうそのように、怖がられずとも大丈夫じゃ。」と、まるで子供をあやすように、笑って御慰めなさいました。
二十一
それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、加茂川 の水が一段と眩 く日の光を照り返して、炎天の川筋には引き舟の往来 さえとぎれる頃でございます。ふだんから釣の好きな私の甥は、五条の橋の下へ参りまして、河原蓬 の中に腰を下しながら、ここばかりは涼風 の通うのを幸と、水嵩 の減った川に糸を下して、頻 に鮠 を釣って居りました。すると丁度頭の上の欄干で、どうも聞いた事のあるような話し声が致しますから、何気なく上を眺めますと、そこにはあの平太夫 が高扇 を使いながら、欄干に身をよせかけて、例の摩利信乃法師 と一しょに、余念なく何事か話して居 るではございませんか。
それを見ますと私の甥は、以前油小路 の辻で見かけた、摩利信乃法師の不思議な振舞がふと心に浮びました。そう云えばあの時も、どうやら二人の間には、曰 くがあったようでもある。――こう私の甥は思いましたから、眼は糸の方へやっていても、耳は橋の上の二人の話を、じっと聞き澄まして居りますと、向うは人通りもほとんど途絶えた、日盛りの寂しさに心を許したのでございましょう。私の甥の居 る事なぞには、更に気のつく容子 もなく、思いもよらない、大それた事を話し合って居 るのでございます。
「あなた様がこの摩利の教を御拡 めになっていらっしゃろうなどとは、この広い洛中で誰一人存じて居 るものはございますまい。私 でさえあなた様が御自分でそう仰有 るまでは、どこかで御見かけ申したとは思いながら、とんと覚えがございませんでした。それもまた考えて見れば、もっともな次第でございます。いつぞやの春の月夜に桜人 の曲を御謡いになった、あの御年若なあなた様と、ただ今こうして炎天に裸で御歩きになっていらっしゃる、慮外ながら天狗のような、見るのも凄じいあなた様と、同じ方でいらっしゃろうとは、あの打伏 の巫子 に聞いて見ても、わからないのに相違ございません。」
こう平太夫 が口軽く、扇の音と一しょに申しますと、摩利信乃法師はまるでまた、どこの殿様かと疑われる、鷹揚 な言 つきで、
「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや油小路 の道祖 の神の祠 の前でも、ちらと見かけた事があったが、その方は側目 もふらず、文をつけた橘の枝を力なくかつぎながら、もの思わしげにたどたどと屋形の方へ歩いて参った。」
「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」
平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの好 い扇の音が、再びはたはたと致しますと、
「しかしこうして今日 御眼にかかれたのは、全く清水寺 の観世音菩薩の御利益 ででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。」
「いや、予が前で神仏 の名は申すまい。不肖 ながら、予は天上皇帝の神勅を蒙って、わが日の本に摩利 の教を布 こうと致す沙門の身じゃ。」
二十二
急に眉をひそめたらしいけはいで、こう摩利信乃法師 が言 を挟みましたが、存外平太夫 は恐れ入った気色 もなく、扇と舌と同じように働かせながら、
「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり老耄 れたと見えまして、する事為す事ことごとく落度 ばかりでございます。いや、そう云う次第ならもうあなた様の御前 では、二度と神仏の御名 は口に致しますまい。もっとも日頃はこの老爺 も、余り信心気 などと申すものがある方ではございません。それをただ今急に、観世音菩薩などと述べ立てましたのは、全く久しぶりで御目にかかったのが、嬉しかったからでございます。そう申せば姫君も、幼馴染のあなた様が御 無事でいらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。」と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容子 とは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、頷 いてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う言 を機会 に、
「さてその姫君についてじゃが、予は聊 か密々に御意 得たい仔細 がある。」と、云って、一段とまた声をひそめながら、
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂闊 な振舞をしては、ここに潜んでいる事が見露 されないものでもございません。そこでやはり河原蓬 の中を流れて行く水の面 を眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと申しましたら、橋の下の私の甥 には、体中の筋骨 が妙にむず痒 くなったくらい、待ち遠しかったそうでございます。
「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては居 る。――」
やがてまた摩利信乃法師は、相不変 もの静かな声で、独り言のように言 を継 ぐと、
「が、予は姫君が恋しゅうて、御意 得たいと申すのではない。予の業欲 に憧るる心は、一度唐土 にさすらって、紅毛碧眼の胡僧 の口から、天上皇帝の御教 を聴聞 すると共に、滅びてしもうた。ただ、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天地 を造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば、神と云い仏 と云う天魔外道 の類 を信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香花 を供えられる。かくてはやがて命終 の期 に臨んで、永劫 消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿鼻大城 の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜 も。――」
こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。
二十三
「昨晩 、何かあったのでございますか。」
ほど経て平太夫 が、心配そうに、こう相手の言 を促しますと、摩利信乃法師 はふと我に返ったように、また元の静な声で、一言 毎に間を置きながら、
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨夜 もあの菰 だれの中で、独りうとうとと眠って居 ると、柳の五つ衣 を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、現 と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と煙 った中に、黄金 の釵子 が怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気色 はない。と思えば紅 の袴の裾に、何やら蠢 いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも居 れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」
「と仰有っただけでは解 せませんが、一体何が居ったのでございます。」
この時は平太夫も、思わず知らず沙門 の調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水子 ほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに蠢 いているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、頻 に涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで鶏 が啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。」
摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を噤 んで、一しきりやめていた扇をまたも使い出しました。私の甥はその間中鉤 にかかった鮠 も忘れるくらい、聞き耳を立てて居りましたが、この夢の話を聞いている中は、橋の下の涼しさが、何となく肌身にしみて、そう云う御姫様の悲しい御姿を、自分もいつか朧げに見た事があるような、不思議な気が致したそうでございます。
その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
「予はその怪しげなものを妖魔 じゃと思う。されば天上皇帝は、堕獄の業 を負わせられた姫君を憐れと見そなわして、予に教化 を施せと霊夢を賜ったのに相違ない。予がその方の力を藉りて、姫君に御意得たいと申すのは、こう云う仔細があるからじゃ。何と予が頼みを聞き入れてはくれまいか。」
それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を丁 と打ちながら、
「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや清水 の阪の下で、辻冠者 ばらと刃傷 を致しました時、すんでに命も取られる所を、あなた様の御かげによって、落ち延びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰有 る事に、いやと申せた義理ではございません。摩利 の教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御嫌 ではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。」
二十四
その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍所 も、その時は私共二人だけで、眩 ゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。
私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの摩利信乃法師 と云う男が、どうして姫君を知って居 るのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙門 が姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。」
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御主 もわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西洞院 の御屋形の警護ばかりして居 る訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――」
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平太夫 と云う老爺 も居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂闊 に邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆張 りの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛中 へ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。」
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主 の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に解 し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算 なのじゃ。」
私が不審 そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を憚 るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの乞食 法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作 はありますまい。」
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門 を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜 を殺すとでも申そう。――」
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か藉 りて、殿様や姫君を呪 うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」
私の甥は顔を火照 らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色 さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流 になってしまいました。
二十五
それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある星月夜 の事でございましたが、私は甥 と一しょに更闌 けてから四条河原へそっと忍んで参りました。その時でさえまだ私には、あの天狗法師を殺そうと云う心算 もなし、また殺す方がよいと云う気もあった訳ではございません。が、どうしても甥が初の目ろみを捨てないのと、甥を一人やる事がなぜか妙に気がかりだったのとで、とうとう私までが年甲斐もなく、河原蓬 の露に濡れながら、摩利信乃法師 の住む小屋を目がけて、窺 いよることになったのでございます。
御承知の通りあの河原には、見苦しい非人 小屋が、何軒となく立ち並んで居りますが、今はもうここに多い白癩 の乞食 たちも、私などが思いもつかない、怪しげな夢をむすびながら、ぐっすり睡入 って居 るのでございましょう。私と甥とが足音を偸 み偸み、静にその小屋の前を通りぬけました時も、蓆壁 の後 にはただ、高鼾 の声が聞えるばかり、どこもかしこもひっそりと静まり返って、たった一所 焚き残してある芥火 さえ、風もないのか夜空へ白く、まっすぐな煙 をあげて居ります。殊にその煙の末が、所斑 な天の川と一つでいるのを眺めますと、どうやら数え切れない星屑が、洛中の天を傾けて、一尺ずつ一寸ずつ、辷る音まではっきりと聞きとれそうに思われました。
その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、加茂川 の細い流れに臨んでいる、菰 だれの小屋の一つを指さしますと、河原蓬の中に立ったまま、私の方をふり向きまして、「あれです。」と、一言 申しました。折からあの焚き捨てた芥火 が、まだ焔の舌を吐いているそのかすかな光に透かして見ますと、小屋はどれよりも小さいくらいで、竹の柱も古蓆 の屋根も隣近所と変りはございませんが、それでもその屋根の上には、木の枝を組んだ十文字の標 が、夜目にもいかめしく立って居ります。
「あれか。」
私は覚束 ない声を出して、何と云う事もなくこう問い返しました。実際その時の私には、まだ摩利信乃法師を殺そうとも、殺すまいとも、はっきりした決断がつかずにいたのでございます。が、そう云う内にも私の甥が、今度はふり向くらしい容子 もなく、じっとその小屋を見守りながら、
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、愈太刀 へ血をあやす時が来たと云う、何とも云いようのない心もちで、思わず総身がわななきました。すると甥は早くも身仕度を整えたものと見えて、太刀の目釘を叮嚀に潤 しますと、まるで私には目もくれず、そっと河原を踏み分けながら、餌食 を覗う蜘蛛 のように、音もなく小屋の外へ忍びよりました。いや全く芥火の朧げな光のさした、蓆壁にぴったり体をよせて、内のけはいを窺っている私の甥の後姿は、何となく大きな蜘蛛のような気味の悪いものに見えたのでございます。
二十六
が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を束 ねて、見て居 る訳には参りません。そこで水干 の袖を後で結ぶと、甥の後 から私も、小屋の外へ窺 いよって、蓆の隙から中の容子を、じっと覗きこみました。
するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く女菩薩 の画像 でございます。それが今は、向うの蓆壁にかけられて、形ははっきりと見えませんが、入口の菰 を洩れる芥火 の光をうけて、美しい金の光輪ばかりが、まるで月蝕 か何かのように、ほんのり燦 めいて居りました。またその前に横になって居りますのは、昼の疲れに前後を忘れた摩利信乃法師 でございましょう。それからその寝姿を半蔽 っている、着物らしいものが見えましたが、これは芥火に反 いているので、噂に聞く天狗の翼だか、それとも天竺 にあると云う火鼠 の裘 だかわかりません。――
この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から沙門 の小屋を取囲んで、そっと太刀の鞘 を払いました。が、私は初めからどうも妙な気おくれが致していたからでございましょう。その拍子に手もとが狂って、思わず鋭い鍔音 を響かせてしまったのではございませんか。すると私が心の中で、はっと思う暇 さえなく、今まで息もしなかった菰だれの向うの摩利信乃法師が、たちまち身を起したらしいけはいを見せて、
「誰じゃ。」と、一声咎 めました。もうこうなっては、甥を始め、私までも騎虎 の勢いで、どうしてもあの沙門を、殺すよりほかはございません。そこでその声がするや否や、前と後と一斉に、ものも云わずに白刃 をかざして、いきなり小屋の中へつきこみました。その白刃の触れ合う音、竹の柱の折れる音、蓆壁の裂け飛ぶ音、――そう云う物音が凄じく、一度に致したと思いますと、矢庭に甥が、二足三足後 の方へ飛びすさって、「おのれ、逃がしてたまろうか。」と、太刀をまっこうにふりかざしながら、苦しそうな声でおめきました。その声に驚いて私も素早く跳 ねのきながら、まだ燃えている芥火の光にきっと向うを透かして見ますと、まあ、どうでございましょう。粉微塵になった小屋の前には、あの無気味な摩利信乃法師が、薄色の袿 を肩にかけて、まるで猿 のように身をかがめながら、例の十文字の護符 を額にあてて、じっと私どもの振舞を窺っているのでございます。これを見た私は、元よりすぐにも一刀浴びせようとあせりましたが、どう云うものか、あの沙門 の身をかがめたまわりには、自然と闇が濃くなるようで、容易に飛びかかる隙 がございません。あるいはその闇の中に、何やら目に見えぬものが渦巻くようで、太刀の狙 いが定まらなかったとも申しましょうか。これは甥も同じ思いだったものと見えて、時々喘 ぐように叫びますが、白刃はいつまでもその頭 の上に目まぐるしくくるくると輪ばかり描 いて居りました。
二十七
その中に摩利信乃法師 は、徐 に身を起しますと、十文字の護符を左右にふり立てながら、嵐の叫ぶような凄い声で、
「やい。おのれらは勿体 なくも、天上皇帝の御威徳を蔑 に致す心得か。この摩利信乃法師が一身は、おのれらの曇った眼には、ただ、墨染の法衣 のほかに蔽うものもないようじゃが、真 は諸天童子の数を尽して、百万の天軍が守って居 るぞよ。ならば手柄 にその白刃 をふりかざして、法師の後 に従うた聖衆 の車馬剣戟と力を競うて見るがよいわ。」と、末は嘲笑 うように罵りました。
元よりこう嚇 されても、それに悸毛 を震う様な私どもではございません。甥と私とはこれを聞くと、まるで綱を放れた牛のように、両方からあの沙門を目蒐 けて斬ってかかりました。いや、将 に斬ってかかろうとしたとでも申しましょうか。と申しますのは、私どもが太刀をふりかぶった刹那に、摩利信乃法師が十文字の護符を、一しきりまた頭 の上で、振りまわしたと思いますと、その護符の金色 が、稲妻のように宙へ飛んで、たちまち私どもの眼の前へは、恐ろしい幻が現れたのでございます。ああ、あの恐しい幻は、どうして私などの口の先で、御話し申す事が出来ましょう。もし出来たと致しましても、それは恐らく麒麟 の代りに、馬を指 して見せると大した違いはございますまい。が、出来ないながら申上げますと、最初あの護符が空へあがった拍子に、私は河原の闇が、突然摩利信乃法師の後だけ、裂け飛んだように思いました。するとその闇の破れた所には、数限りもない焔 の馬や焔の車が、竜蛇のような怪しい姿と一しょに、雨より急な火花を散らしながら、今にも私共の頭上をさして落ちかかるかと思うばかり、天に溢れてありありと浮び上ったのでございます。と思うとまた、その中に旗のようなものや、剣 のようなものも、何千何百となく燦 いて、そこからまるで大風 の海のような、凄じいもの音が、河原の石さえ走らせそうに、どっと沸 き返って参りました。それを後に背負いながら、やはり薄色の袿 を肩にかけて、十文字の護符をかざしたまま、厳 に立っているあの沙門 の異様な姿は、全くどこかの大天狗が、地獄の底から魔軍を率いて、この河原のただ中へ天下 ったようだとでも申しましょうか。――
私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、頭 を抱えて右左へ、一たまりもなくひれ伏してしまいました。するとその頭 の空に、摩利信乃法師の罵る声が、またいかめしく響き渡って、
「命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に御詫 申せ。さもない時は立ちどころに、護法百万の聖衆 たちは、その方どもの臭骸 を段々壊 に致そうぞよ。」と、雷 のように呼 わります。その恐ろしさ、物凄さと申しましたら、今になって考えましても、身ぶるいが出ずには居 られません。そこで私もとうとう我慢が出来なくなって、合掌した手をさし上げながら、眼をつぶって恐る恐る、「南無 天上皇帝」と称 えました。
二十八
それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た非人 たちが、四方から私どもをとり囲みました。それがまた、大抵 は摩利 の教の信者たちでございますから、私どもが太刀を捨ててしまったのを幸に、いざと云えば手ごめにでもし兼ねない勢いで、口々に凄じく罵り騒ぎながら、まるで穽 にかかった狐 でも見るように、男も女も折り重なって、憎さげに顔を覗きこもうとするのでございます。その何人とも知れない白癩 どもの面 が、新に燃え上った芥火 の光を浴びて、星月夜 も見えないほど、前後左右から頸 をのばした気味悪さは、到底この世のものとは思われません。
が、その中でもさすがに摩利信乃法師 は、徐 に哮 り立つ非人たちを宥 めますと、例の怪しげな微笑を浮べながら、私どもの前へ進み出まして、天上皇帝の御威徳の難有 い本末 を懇々と説いて聴かせました。が、その間も私の気になって仕方がなかったのは、あの沙門の肩にかかっている、美しい薄色の袿 の事でございます。元より薄色の袿と申しましても、世間に類 の多いものではございますが、もしやあれは中御門 の姫君の御召し物ではございますまいか。万一そうだと致しましたら、姫君はもういつの間にか、あの沙門 と御対面になったのでございましょうし、あるいはその上に摩利 の教も、御帰依なすってしまわないとは限りません。こう思いますと私は、おちおち相手の申します事も、耳にはいらないくらいでございましたが、うっかりそんな素振 を見せましては、またどんな恐ろしい目に遇わされないものでもございますまい。しかも摩利信乃法師の容子 では、私どももただ、神仏を蔑 されるのが口惜 しいので、闇討をしかけたものだと思ったのでございましょう。幸い、堀川の若殿様に御仕え申している事なぞは、気のつかないように見えましたから、あの薄色の袿 にも、なるべく眼をやらないようにして、河原の砂の上に坐ったまま、わざと神妙にあの沙門の申す事を聴いて居 るらしく装いました。
するとそれが先方には、いかにも殊勝 げに見えたのでございましょう。一通り談義めいた事を説いて聴かせますと、摩利信乃法師は顔色を和 げながら、あの十文字の護符を私どもの上にさしかざして、
「その方どもの罪業 は無知蒙昧 の然らしめた所じゃによって、天上皇帝も格別の御宥免 を賜わせらるるに相違あるまい。さればわしもこの上なお、叱り懲 そうとは思うて居ぬ。やがてはまた、今夜の闇討が縁となって、その方どもが摩利の御教 に帰依し奉る時も参るであろう。じゃによってその時が参るまでは、一先 この場を退散致したが好 い。」と、もの優しく申してくれました。もっともその時でさえ、非人たちは、今にも掴みかかりそうな、凄じい気色を見せて居りましたが、これもあの沙門の鶴の一声で、素直に私どもの帰る路を開いてくれたのでございます。
そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる間 も惜しいように、々 四条河原から逃げ出しました。その時の私の心もちと申しましたら、嬉しいとも、悲しいとも、乃至 はまた残念だとも、何ともお話しの致しようがございません。でございますから河原が遠くなって、ただ、あの芥火の赤く揺 めくまわりに、白癩どもが蟻 のように集って、何やら怪しげな歌を唄って居りますのが、かすかに耳へはいりました時も、私どもは互の顔さえ見ずに、黙って吐息 ばかりつきながら、歩いて行ったものでございます。
二十九
それ以来私どもは、よるとさわると、額を鳩 めて、摩利信乃法師 と中御門 の姫君とのいきさつを互に推量し合いながら、どうかしてあの天狗法師を遠ざけたいと、いろいろ評議を致しましたが、さて例の恐ろしい幻の事を思い出しますと、容易に名案も浮びません。もっとも甥 の方は私より若いだけに、まだ執念深く初一念を捨てないで、場合によったら平太夫 のしたように、辻冠者どもでも駆り集めたら、もう一度四条河原の小屋を劫 そうくらいな考えがあるようでございました。所がその中に、思いもよらず、また私どもは摩利信乃法師の神変不思議な法力 に、驚くような事が出来たのでございます。
それはもう秋風の立ち始めました頃、長尾 の律師様 が嵯峨 に阿弥陀堂 を御建てになって、その供養 をなすった時の事でございます。その御堂 も只今は焼けてございませんが、何しろ国々の良材を御集めになった上に、高名 な匠 たちばかり御召しになって、莫大 な黄金 も御かまいなく、御造りになったものでございますから、御規模こそさのみ大きくなくっても、その荘厳を極めて居りました事は、ほぼ御推察が参るでございましょう。
別してその御堂供養 の当日は、上達部殿上人 は申すまでもなく、女房たちの参ったのも数限りないほどでございましたから、東西の廊に寄せてあるさまざまの車と申し、その廊廊の桟敷 をめぐった、錦の縁 のある御簾 と申し、あるいはまた御簾際になまめかしくうち出した、萩 、桔梗 、女郎花 などの褄 や袖口の彩りと申し、うららかな日の光を浴びた、境内 一面の美しさは、目 のあたりに蓮華宝土 の景色を見るようでございました。それから、廊に囲まれた御庭の池にはすきまもなく、紅蓮白蓮 の造り花が簇々 と咲きならんで、その間を竜舟 が一艘 、錦の平張 りを打ちわたして、蛮絵 を着た童部 たちに画棹 の水を切らせながら、微妙な楽の音 を漂わせて、悠々と動いて居りましたのも、涙の出るほど尊げに拝まれたものでございます。
まして正面を眺めますと、御堂 の犬防 ぎが燦々と螺鈿 を光らせている後には、名香の煙 のたなびく中に、御本尊の如来を始め、勢至観音 などの御 姿が、紫磨黄金 の御 顔や玉の瓔珞 を仄々 と、御現しになっている難有 さは、また一層でございました。その御仏 の前の庭には、礼盤 を中に挟 みながら、見るも眩 い宝蓋の下に、講師読師 の高座がございましたが、供養 の式に連っている何十人かの僧どもも、法衣 や袈裟 の青や赤がいかにも美々しく入り交って、経を読む声、鈴 を振る音、あるいは栴檀沈水 の香 などが、その中から絶え間なく晴れ渡った秋の空へ、うらうらと昇って参ります。
するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の御容子 を拝もうとしている人々が、俄 に何事が起ったのか、見る見るどっとどよみ立って、まるで風の吹き出した海のように、押しつ押されつし始めました。
三十
この騒ぎを見た看督長 は、早速そこへ駈けつけて、高々と弓をふりかざしながら、御門 の中 へ乱れ入った人々を、打ち鎮めようと致しました。が、その人波の中を分けて、異様な風俗の沙門 が一人、姿を現したと思いますと、看督長はたちまち弓をすてて、往来の遮 をするどころか、そのままそこへひれ伏しながら、まるで帝 の御出ましを御拝み申す時のように、礼を致したではございませんか。外の騒動に気をとられて、一しきりざわめき立った御門の中が、急にひっそりと静まりますと、また「摩利信乃法師 、摩利信乃法師」と云う囁き声が、丁度蘆 の葉に渡る風のように、どこからともなく起ったのは、この時の事でございます。
摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の法衣 の肩へ長い髪を乱しながら、十文字の護符の黄金 を胸のあたりに燦 かせて、足さえ見るも寒そうな素跣足 でございました。その後 にはいつもの女菩薩 の幢 が、秋の日の光の中にいかめしく掲げられて居りましたが、これは誰か供のものが、さしかざしてでもいたのでございましょう。
「方々 にもの申そう。これは天上皇帝の神勅を賜わって、わが日の本に摩利の教を布 こうずる摩利信乃法師と申すものじゃ。」
あの沙門は悠々と看督長 の拝に答えてから、砂を敷いた御庭の中へ、恐れげもなく進み出て、こう厳 な声で申しました。それを聞くと御門の中は、またざわめきたちましたが、さすがに検非違使 たちばかりは、思いもかけない椿事 に驚きながらも、役目は忘れなかったのでございましょう。火長 と見えるものが二三人、手に手を得物提 げて、声高 に狼藉 を咎めながら、あの沙門へ走りかかりますと、矢庭に四方から飛びかかって、搦 め取ろうと致しました。が、摩利信乃法師は憎さげに、火長たちを見やりながら、
「打たば打て。取らば取れ。但 、天上皇帝の御罰は立ち所に下ろうぞよ。」と、嘲笑 うような声を出しますと、その時胸に下っていた十文字の護符が日を受けて、眩 くきらりと光ると同時に、なぜか相手は得物を捨てて、昼雷 にでも打たれたかと思うばかり、あの沙門の足もとへ、転 び倒れてしまいました。
「如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今目 のあたりに見られた如くじゃ。」
摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような霊験 は不思議もない。そもそも天上皇帝とは、この天地 を造らせ給うた、唯一不二 の大御神 じゃ。この大御神を知らねばこそ、方々はかくも信心の誠を尽して、阿弥陀如来なんぞと申す妖魔 の類 を事々しく、供養せらるるげに思われた。」
この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから誦経 を止めて、茫然と事の次第を眺めていた僧たちは、俄 にどよめきを挙げながら、「打ち殺せ」とか「搦 め取れ」とかしきりに罵り立てましたが、さて誰一人として席を離れて、摩利信乃法師を懲 そうと致すものはございません。
三十一
すると摩利信乃法師 は傲然と、その僧たちの方を睨 めまわして、
「過てるを知って憚 る事勿 れとは、唐国 の聖人も申された。一旦、仏菩薩の妖魔たる事を知られたら、々 摩利の教に帰依あって、天上皇帝の御威徳を讃 え奉るに若 くはない。またもし、摩利信乃法師の申し条に疑いあって、仏菩薩が妖魔か、天上皇帝が邪神か、決定 致し兼ぬるとあるならば、いかようにも法力 を較 べ合せて、いずれが正法 か弁別申そう。」と、声も荒らかに呼ばわりました。
が、何しろただ今も、検非違使 たちが目 のあたりに、気を失って倒れたのを見て居 るのでございますから、御簾 の内も御簾の外も、水を打ったように声を呑んで、僧俗ともに誰一人、進んであの沙門の法力を試みようと致すものは見えません。所詮は長尾 の僧都 は申すまでもなく、その日御見えになっていらしった山の座主 や仁和寺 の僧正 も、現人神 のような摩利信乃法師に、胆 を御挫 かれになったのでございましょう。供養の庭はしばらくの間、竜舟 の音楽も声を絶って、造り花の蓮華にふる日の光の音さえ聞えたくらい、しんと静まり返ってしまいました。
沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、天狗 のように嘲笑 いますと、
「これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの聖 僧たちも少からぬように見うけたが、一人 としてこの摩利信乃法師と法力を較べようずものも現れぬは、さては天上皇帝を始め奉り、諸天童子の御神光 に恐れをなして、貴賤老若 の嫌いなく、吾が摩利の法門に帰依し奉ったものと見える。さらば此場において、先ず山の座主 から一人一人灌頂 の儀式を行うてとらせようか。」と、威丈高 に罵りました。
所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな御僧 がございます。金襴 の袈裟 、水晶の念珠 、それから白い双の眉毛――一目見ただけでも、天 が下 に功徳無量 の名を轟かせた、横川 の僧都 だと申す事は疑おうようもございません。僧都は年こそとられましたが、たぶたぶと肥え太った体を徐 に運びながら、摩利信乃法師の眼の前へ、おごそかに歩みを止めますと、
「こりゃ下郎 。ただ今もその方が申す如く、この御堂 供養の庭には、法界 の竜象 数を知らず並み居られるには相違ない。が、鼠に抛 つにも器物 を忌 むの慣い、誰かその方如き下郎 づれと、法力の高下を競わりょうぞ。さればその方は先ず己を恥じて、々 この宝前を退散す可き分際ながら、推して神通 を較べようなどは、近頃以て奇怪至極 じゃ。思うにその方は何処 かにて金剛邪禅 の法を修した外道 の沙門と心得る。じゃによって一つは三宝の霊験 を示さんため、一つはその方の魔縁に惹 かれて、無間地獄 に堕ちようず衆生 を救うてとらさんため、老衲 自らその方と法験 を較べに罷 り出 た。たといその方の幻術がよく鬼神を駆り使うとも、護法の加護ある老衲には一指を触るる事すらよも出来まい。されば仏力 の奇特 を見て、その方こそ受戒致してよかろう。」と、大獅子孔 を浴せかけ、たちまち印 を結ばれました。
三十二
するとその印を結んだ手の中 から、俄 に一道の白気 が立上 って、それが隠々と中空 へたなびいたと思いますと、丁度僧都 の頭 の真上に、宝蓋 をかざしたような一団の靄 がたなびきました。いや、靄と申したのでは、あの不思議な雲気 の模様が、まだ十分御会得 には参りますまい。もしそれが靄だったと致しましたら、その向うにある御堂 の屋根などは霞んで見えない筈でございますが、この雲気はただ、虚空 に何やら形の見えぬものが蟠 まったと思うばかりで、晴れ渡った空の色さえ、元の通り朗かに見透かされたのでございます。
御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、御簾 を動かすばかり起りましたが、その声のまだ終らない中に、印を結び直した横川 の僧都 が、徐 に肉 の余った顎 を動かして、秘密の呪文 を誦 しますと、たちまちその雲気の中に、朦朧とした二尊の金甲神 が、勇ましく金剛杵 をふりかざしながら、影のような姿を現しました。これもあると思えばあり、ないと思えばないような幻ではございます。が、その宙を踏んで飛舞 する容子 は、今しも摩利信乃法師 の脳上へ、一杵 を加えるかと思うほど、神威を帯びて居ったのでございます。
しかし当の摩利信乃法師は、不相変 高慢の面 をあげて、じっとこの金甲神 の姿を眺めたまま、眉毛一つ動かそうとは致しません。それどころか、堅く結んだ唇のあたりには、例の無気味 な微笑の影が、さも嘲りたいのを堪 えるように、漂って居 るのでございます。するとその不敵な振舞に腹を据え兼ねたのでございましょう。横川 の僧都は急に印を解いて、水晶の念珠 を振りながら、
「叱 。」と、嗄 れた声で大喝しました。
その声に応じて金甲神 が、雲気と共に空中から、舞下 ろうと致しましたのと、下にいた摩利信乃法師が、十文字の護符を額に当てながら、何やら鋭い声で叫びましたのとが、全く同時でございます。この拍子に瞬く間、虹のような光があって空へ昇ったと見えましたが、金甲神の姿は跡もなく消え失せて、その代りに僧都の水晶の念珠が、まん中から二つに切れると、珠はさながら霰 のように、戞然 と四方へ飛び散りました。
「御坊 の手なみはすでに見えた。金剛邪禅 の法を修したとは、とりも直さず御坊の事じゃ。」
勝ち誇ったあの沙門は、思わずどっと鬨 をつくった人々の声を圧しながら、高らかにこう罵りました。その声を浴びた横川 の僧都が、どんなに御悄 れなすったか、それは別段とり立てて申すまでもございますまい。もしもあの時御弟子たちが、先を争いながら進みよって、介抱しなかったと致しましたら、恐らく満足には元の廊へも帰られなかった事でございましょう。その間に摩利信乃法師は、いよいよ誇らしげに胸を反 らせて、
「横川 の僧都は、今天 が下 に法誉無上 の大和尚 と承わったが、この法師の眼から見れば、天上皇帝の照覧を昏 まし奉って、妄 に鬼神を使役する、云おうようない火宅僧 じゃ。されば仏菩薩は妖魔の類 、釈教は堕獄の業因 と申したが、摩利信乃法師一人の誤りか。さもあらばあれ、まだこの上にもわが摩利の法門へ帰依しょうと思立 たれずば、元より僧俗の嫌いはない。何人 なりともこの場において、天上皇帝の御威徳を目 のあたりに試みられい。」と、八方を睨 みながら申しました。
その時、また東の廊に当って、
「応 。」と、涼しく答えますと、御装束の姿もあたりを払って、悠然と御庭へ御下 りになりましたのは、別人でもない堀川の若殿様でございます。
(声明:本文内容均出自日本青空文库,仅供学习使用,勿用于任何商业用途。)
先頃
あれは確か、若殿様の十九の御年だったかと存じます。思いもよらない急な御病気とは云うものの、実はかれこれその半年ばかり前から、
ある日――それも雪もよいの、底冷がする日の事でございましたが、
二
が、大殿様と若殿様とが、取り分け違っていらしったのは、どちらかと云えば、御気象の方で、大殿様のなさる事は、すべてが
そう云う次第でございますから、大殿様は何かにつけて、
身をすてて花を惜しやと思ふらむ打てども
立たぬ鳥もありけり
立たぬ鳥もありけり
三
大殿様と若殿様とは、かように万事がかけ離れていらっしゃいましたから、それだけまた
その頃、若殿様は大そう笙を御好みで、遠縁の
若殿様はこの少納言の御手許で、長らく
その
「この頃は笙も一段と上達致したであろうな。」と、念を押すように
「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答えになりました。
「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」
「
こう
「今度もこの方が
四
それから大殿様の御隠れになる時まで、
いつぞや大殿様が、二条大宮の
「融の左大臣は、風月の才に富んで居られたと申すではないか。されば父上づれは、話のあとを打たせるにも足らぬと思われて、消え失せられたに相違ない。」と、
それがまた大殿様には、何よりも御耳に痛かったと見えまして、ふとした
「父上、父上、そう御腹立ち遊ばすな。牛飼めもあの通り、恐れ入って
こう云う御間がらでございましたから、大殿様の御臨終を、じっと
五
でございますから若殿様が、御家督を御取りになったその日の内から、
その代りまた、詩歌管絃の道に長じてさえ居りますれば、無位無官の侍でも、身に余るような
「
「みどりの糸をくりおきて夏へて秋は
まず、若殿様の
六
その御話のそもそもは、確か大殿様が御隠れになってから、五六年たった頃でございますが、丁度その時分若殿様は、前に申しあげました
「爺よ。
しかし、これは、あながち、若殿様御一人に限った事ではございません。あの頃の年若な
いや、現に一時は秀才の名が高かった
が、また
七
でございますからこの御姫様に、
「いや、あれは何も
こちらは京極の左大弁様で、何事かと胸を轟かせながら、
それがほど経てから、御門の扉が、やっと開いたと思いますと、
そこで泣く泣く御立ち帰りになって、その御文を開けて御覧になると、一首の古歌がちらし書きにしてあるだけで、一言もほかには御便りがございません。
思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし
これは云うまでもなく御姫様が、
八
こう御話し致しますと、中には世の常の姫君たちに引き比べて、この御姫様の
そこで噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北の
何でも私が
「やい、おのれは
九
丁度その頃の事でございます。
そう申せば私が初めてその沙門を見ましたのも、やはり其頃の事でございました。確か、ある花曇りの日の
するとその時、私の側にいた、逞しい
「おのれ、よくも地蔵菩薩を天狗だなどと
「たとい
十
が、それはほんの僅の
「まだ
元よりその時は私はじめ、誰でも鍛冶の竹馬が、したたか相手の
これに
「見られい。わしの云うた事に、
するとその時でございます。ひっそりと静まり返った人々の中から、急にけたたましい泣き声をあげて、さっき竹馬を持っていた
「
「阿父さん。よう。」
その道理が
十一
「さても
こう云うと沙門は旗竿を大きく両腕に
「やあ、
「天上皇帝の御威徳は、この大空のように広大無辺じゃ。何と信を起されたか。」と、
鍛冶の親子は互にしっかり
後で人の話を承わりますと、この沙門の説教致しますのが、
十二
と申しますのは、まず第一に
が、摩利信乃法師の法力が評判になったのは、それだからばかりではございません。前にも私が往来で見かけましたように、摩利の教を
そう云う勢いでございますから、日が
十三
そこでお話は元へ戻りますが、その間に若殿様は、思いもよらない出来事から、
と同時に
「おう、しかとこの殿じゃ。」と、
いや、現にその時も、平太夫がそう答えますと、さっきの盗人は一層声を
「さらば
十四
しかしあの飽くまでも、物に御騒ぎにならない若殿様は、すぐに勇気を御取り直しになって、悠々と扇を
「待て。待て。予の命が欲しくば、次第によって呉れてやらぬものでもない。が、その方どもは、何でそのようなものを欲しがるのじゃ。」と、まるで人事のように御尋ねになりました。すると
「
「予は誰やら知らぬ。が、予でない事だけは、しかとした
「殿か、殿の父君か。いずれにしても、殿は
頭立った一人がこう申しますと、残りの盗人どもも覆面の下で、
「そうじゃ。仇の一味じゃ。」と、声々に罵り交しました。中にもあの
「さかしらは御無用じゃよ。それよりは
が、若殿様は
「してその方たちは、皆少納言殿の
「そうじゃ。それがまた何と致した。」
「いや、何とも致さぬが、もしこの中に少納言殿の
若殿様はこう
「なぜと申せ。」と、若殿様は言葉を御継ぎになって、「予を
これを聞いた盗人たちは、今更のように顔を見合せたけはいでございましたが、
「ええ、何が阿呆ものじゃ。その阿呆ものの太刀にかかって、
「何、その方どもが阿呆ものだとな。ではこの
若殿様は
十五
「次第によっては、
恐ろしいくらいひっそりと静まり返っていた盗人たちの中から、
「それは
「さようでございます。」
これは盗人たちが三四人、一度に覆面の下から申し上げました。
「そこで予が頼みと申すのは、その
この
「やい、ここなうっそりどもめ。まだ乳臭いこの殿の口車に乗せられ居って、抜いた白刃を持て扱うばかりか、おめおめ御意に従いましょうなどとは、どの面下げて申せた義理じゃ。よしよし、ならば
こう申すや否や平太夫は、太刀をまっこうにふりかざしながら、やにわに若殿様へ飛びかかろうと致しました。が、その飛びかかろうと致したのと、頭だった盗人が、素早く白刃を投げ出して、横あいからむずと組みついたのとが、ほとんど同時でございます。するとほかの盗人たちも、てんでに太刀を鞘におさめて、まるで
するとこれを御覧になった若殿様は、
「おお、大儀。大儀。それで予の腹も
こう
十六
さて若殿様は
「こりゃ平太夫、その方が少納言殿の
こう
「その代りその方も、折角これまで参ったものじゃ。
私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、
「これ、これ、永居は平太夫の迷惑じゃ。すぐさま縄目を許してつかわすがよい。」と、
それから間もなくの事でございます。一夜の内に腰さえ弓のように曲った平太夫は、若殿様の御文をつけた
二人の間はおよその所、半町ばかりもございましたろうか。平太夫は気も心も緩みはてたかと思うばかり、
この調子ならまず何事もなかろうと、一時は私の甥も途中から引き返そうと致しましたが、よもやに引かされて、しばらくは猶も跡を慕って参りますと、丁度
十七
危くつき当りそうになった
が、その内に私の甥の足音に驚かされたのでございましょう。摩利信乃法師は夢のさめたように、慌しくこちらを振り向きますと、急に片手を高く挙げて、怪しい
しかしその御文は
十八
その
その内に
「今も
「まあ、憎らしい事ばかり
「いや、それよりも始めから、捨てられる
「たんと
御姫様はこう仰有って、一度は愛くるしく御笑いになりましたが、急にまた
「一体世の中の恋と申すものは、皆そのように
「されば
十九
「されば恋の
やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、
「何と、
「いえ、
私が
「いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、
「これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、
「そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。
こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は
「それでも
「
若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと
「昔、あの
「では、この頃洛中に
「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。」と、さも気味悪そうに申しながら、
二十
「何、
何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、
「摩利と申すからは、
「いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ
「では、
そこで私は先日神泉苑の
「その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の
「そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の
「さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に
すると若殿様はまた元のように、
「いや、何とも申されぬ。現に
「まあ、気味の悪い事を
御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、
「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の
「が、まだその摩利信乃法師とやらは、
二十一
それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、
それを見ますと私の甥は、以前
「あなた様がこの摩利の教を
こう
「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや
「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」
平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの
「しかしこうして
「いや、予が前で
二十二
急に眉をひそめたらしいけはいで、こう
「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり
「さてその姫君についてじゃが、予は
「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」
するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より
「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては
やがてまた摩利信乃法師は、
「が、予は姫君が恋しゅうて、
こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。
二十三
「
ほど経て
「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は
「と仰有っただけでは
この時は平太夫も、思わず知らず
「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、
摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を
その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、
「予はその怪しげなものを
それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を
「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや
二十四
その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の
私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、
「一体あの
「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、
「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには
「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。
私が
「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」
これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、
「何、高があの通りの
「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は
「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か
私の甥は顔を
二十五
それからまた、三四日はすぎたように覚えて居ります。ある
御承知の通りあの河原には、見苦しい
その中に私の甥は、兼ねて目星をつけて置いたのでございましょう、
「あれか。」
私は
「そうです。」と、素っ気なく答える声を聞きますと、
二十六
が、こう云う場合に立ち至ったからは、元よりこちらも手を
するとまず、眼に映ったのは、あの旗竿に掲げて歩く
この容子を見た私どもは、云わず語らず両方から
「誰じゃ。」と、一声
二十七
その中に
「やい。おのれらは
元よりこう
私どもは余りの不思議に、思わず太刀を落すや否や、
「命が惜しくば、その方どもも天上皇帝に
二十八
それから先の事は、申し上げるのさえ、御恥しいくらいでございますから、なる可く手短に御話し致しましょう。私共が天上皇帝を祈りましたせいか、あの恐ろしい幻は間もなく消えてしまいましたが、その代り太刀音を聞いて起て来た
が、その中でもさすがに
するとそれが先方には、いかにも
「その方どもの
そこで私と甥とは、太刀を鞘におさめる
二十九
それ以来私どもは、よるとさわると、額を
それはもう秋風の立ち始めました頃、
別してその
まして正面を眺めますと、
するとその供養のまっ最中、四方の御門の外に群って、一目でも中の
三十
この騒ぎを見た
摩利信乃法師は、今日も例の通り、墨染の
「
あの沙門は悠々と
「打たば打て。取らば取れ。
「如何に方々。天上皇帝の御威徳は、ただ今
摩利信乃法師は胸の護符を外して、東西の廊へ代る代る、誇らしげにさしかざしながら、
「元よりかような
この暴言にたまり兼ねたのでございましょう。さっきから
三十一
すると
「過てるを知って
が、何しろただ今も、
沙門はそれにまた一層力を得たのでございましょう。例の十文字の護符をさしかざして、
「これはまた笑止千万な。南都北嶺とやらの
所がその声がまだ終らない中に、西の廊からただ一人、悠然と庭へ御下りになった、尊げな
「こりゃ
三十二
するとその印を結んだ手の
御庭をめぐっていた人々は、いずれもこの雲気に驚いたのでございましょう。またどこからともなく風のようなざわめきが、
しかし当の摩利信乃法師は、
「
その声に応じて
「
勝ち誇ったあの沙門は、思わずどっと
「
その時、また東の廊に当って、
「
(未完)
(大正七年十一月)
(声明:本文内容均出自日本青空文库,仅供学习使用,勿用于任何商业用途。)