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『論語』の八イツ篇-21
日期:2014-02-25 18:04  点击:427
[白文]21.哀公問社於宰我、宰我対曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰使民戦栗也、子聞之曰、成事不説、遂事不説、既徃不咎。
 
[書き下し文]哀公、社を宰我(さいが)に問う。宰我、対えて曰く、夏后(かこう)氏は松を以てし、殷人(いんひと)は柏(はく)を以てし、周人(しゅうひと)は栗(りつ)を以てす。曰く、民をして戦栗(せんりつ)せしむるなり。子これを聞きて曰く、成事(せいじ)は説かず、遂事(すいじ)は諌めず、既往(すぎたる)は咎めず。
 
[口語訳]哀公が(樹木を神体として祭る)社のことを宰我にお尋ねになった。宰我はお答えして言った。「夏の主君は松を使い、殷の人は柏(ひのき)を用い、周の人は栗を使っています。栗を用いるのには、(栗の神木の下で行われる死刑・刑罰によって)民衆を戦慄させようという意味があります。」先生はそれを聞いておっしゃった。「既に終わったことについて論じてはならない、既に為してしまったことについて諌めてもいけない。過ぎ去った事柄の責任を追及すべきではない。」 

[解説]魯国には、君主や貴族の祖霊を祭る周社と、一般庶民の祖霊を祭る殷社(亳社・はくしゃ)とがあったが、社には樹木が神体として置かれ「神木」とされていた。神木の下では民衆の裁判と刑罰が行われたので、周の時代の「栗の木」というのは、神聖な場所を示すと同時に恐怖の場所を示す目印でもあった。孔子の門人であった宰我(さいが)は、周社の威令を掲げて三家老を完全に追放する英断(王政復古のクーデター)を哀公に迫ったという解釈があるが、孔子は暴力的なクーデターによって王政復古を実現してもその政権は安定しないだろうと考え、宰我の性急な諫言を牽制したとされる。

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