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『論語』の八イツ篇-22
日期:2014-02-25 18:05  点击:403
[白文]22.子曰、管仲之器小哉、或曰、管仲倹乎、曰、管氏有三帰、官事不摂、焉得倹乎、曰、然則管仲知礼乎、曰、邦君樹塞門、管氏亦樹塞門、邦君為両君之好、有反貼(てん)、管氏亦有反貼(てん)、管氏而知礼、孰不知礼。
 
[書き下し文]子曰く、管仲(かんちゅう)の器(うつわ)小なるかな。或るひと曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏に三帰あり、官事摂ねず(かねず)、焉んぞ(いずくんぞ)倹なるを得ん。曰く、然らば則ち管仲は礼を知れるか。曰く、邦君(ほうくん)は樹(じゅ)して門を塞ぐ(ふさぐ)、管氏も亦た(また)樹して門を塞げり。邦君、両君の好(よしみ)を為すに反貼(はんてん)あり、管氏も亦た反貼あり。管氏にして礼を知らば、孰か(たれか)礼を知らざらん。
 
[口語訳]先生が言われた。「(天下の名宰相と言われる)管仲の器量は小さいね。」ある人が尋ねた。「管仲は倹約だったのですか?」先生は言われた。「管氏には三つの邸宅(三人の夫人)があり、官(政府)の仕事も多くの役人を雇って兼務させずに(それぞれの仕事を)専任させていた。どうして倹約といえようか(いや、いえない。)」ある人が尋ねた。「それでは、管仲は、礼を知っていたのですか。」先生は答えられた。「国君は、目隠しの塀を立てて門の正面をふさぐのが礼ですが、管氏も(家臣の身分でありながら)やはり塀を立てて門の目隠しをしました。国君が二人で修好する時には、献酬の盃を置く特別な台を設けるが、管氏も(家臣の身分でありながら)やはり盃を置く特別な台を設けていました。管氏にして礼を知っているとするならば、誰が礼をわきまえていないというのでしょうか(いや、誰もが礼をわきまえていることになってしまいます。)」 
 
[解説]『管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)』の故事成語で知られる斉の名宰相であった管仲だが、孔子は管仲が「家臣としての分をわきまえず、君主・諸侯と同等の権限を振るった」という理由で管仲の器量が小さいと苦言している。才気煥発な管仲は、斉の桓公(紀元前685-643頃)を補佐して、桓公を春秋の覇者にした忠臣であるが、孔子は管仲が臣下の身でありながら諸侯だけが持つ特権を侵していたという意味で、管仲は礼の何たるかをまるで理解していなかったと批判しているのである。諸侯の特権とは、「三国から夫人・夫人の妹・夫人の姪をめとることができ、合計9人の妻(正妻と側室)を持つことが出来ること」「門の中央に目隠しのための塀を立てることが出来ること」「他の諸侯(国君)と酒を酌み交わす場合に、特別な台を置けること」である。斉の覇権確立に対する功績(貢献)が余りに大きい管仲は、特例として、家臣の身分でありながらこれらの特権を許され、その特権を行使していたのである。

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