【かぐや姫の昇天】
(一)
竹取心惑ひて泣き伏せるところに寄りて、かぐや姫言ふ、「ここにも心にもあらでかくまかるに、上らむをだに見送りたまへ」と言へども、「なにしに、悲しきに見送り奉らむ。われをいかにせよとて捨てては上りたまふぞ。具していでおはせね」と泣きて伏せれば、心惑ひぬ。「文を書き置きてまからむ。恋しからむをりをり、取りいでて見たまへ」とて、うち泣きて書くことばは、
「この国に生まれぬるとならば、嘆かせ奉らぬほどまではべらで過ぎ別れぬること、かへすがへす本意(ほい)なくこそ覚えはべれ。脱ぎおく衣(きぬ)を形見と見たまへ。月のいでたらむ夜は、見おこせたまへ。見捨て奉りてまかる空よりも、落ちぬべきここちする」と書き置く。
天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またあるは不死の薬入れり。ひとりの天人言ふ、「壺(つぼ)なる御薬奉れ。きたなき所のもの聞こし召したれば、御心地悪しからむものぞ」とて持て寄りたれば、わづかなめたまひて、少し形見とて脱ぎおく衣(きぬ)に包まむとすれば、ある天人包ませず、御衣(みぞ)を取りいでて着せむとす。その時に、かぐや姫「しばし待て」と言ふ。「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。もの一こと言ひおくべきことありけり」と言ひて、文(ふみ)書く。天人、おそしと心もとながりたまひ、かぐや姫、「物知らぬことなのたまひそ」とて、いみじく静かに、公(おほやけ)に御文奉りたまふ。あわてぬさまなり。
(現代語訳)
竹取の翁が心乱れて泣き伏しているところに近寄って、かぐや姫が、「私も心ならずしてこのように出て参りますので、せめて天に上っていくのだけでもお見送りください」と言うものの、「いったい何のために、ただでさえこんなに悲しいのにお見送りするというのか。私にどうせよというおつもりで捨ててお上りになるのか。ぜひ連れて行ってください」と泣き伏すので、かぐや姫も心乱れてしまう。「手紙を書き置いて参りましょう。恋しく思ってくださる折々に、取り出して御覧になってください」と言って、泣きながら書いたことばは、
<この国に生れたのであれば、お爺様お婆様を悲しませないころまでごいっしょに過ごさせていただくべきですが、それもできずお別れすることは、重ね重ねも不本意で残念に思います。脱いで残しておく着物を、私の形見と思って御覧ください。月が出る夜には、御覧になってください。お二人をお見捨てして参ります空から、落ちてしまいそうな気がいたします。>と書き置く。
天人の中の一人に持たせた箱がある。天の羽衣が入っている。またもう一つの箱には不死の薬が入っている。一人の天人が、「壺に入っている御薬をお飲みなさい。汚れた所のものを召し上がっていたので、きっとご気分が悪いに違いない」と言って、壺を持って寄ってきた。かぐや姫はほんのわずか御薬をなめて、少しを形見として脱ぎ置いた着物に包もうとすると、天人は御薬を包ませず、お召し物を取り出して着せようとした。その時、かぐや姫は「しばらく待ってください」と言う。「羽衣を着せてしまった人は、心が変わってしまうといいます。その前に何か一言、申し上げておかなくてはならないことがありました」と言って、手紙を書き始めた。天人は、遅いとじれったがり、一方かぐや姫は、「わけのわからないことをおっしゃらないで」と言って、とても静かに、朝廷に差し上げる御手紙をしたためた。ゆったりとしたようすであった。