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【桐壶篇】光源氏的诞生(二)
日期:2014-06-16 14:42  点击:1565
◆ 光源氏の誕生
 
(二)
 かしこき御蔭(みかげ)をば頼み聞こえながら、落としめ疵(きず)を求めたまふ人は多く、わが身はか弱く、ものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。御局(みつぼね)は桐壺なり。あまたの御方々を過ぎさせたまひつつ、ひまなき御前(おまへ)渡りに、人の御心(みこころ)を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋(うちはし)・渡殿(わたどの)のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣(きぬ)の裾(すそ)堪へがたう、まさなきことどももあり。またある時は、え避らぬ馬道(ねだう)の戸をさしこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめ、わづらはせたまふ時も多かり。事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿(こうらうでん)にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司(ざうし)を他に移させたまひて、上局(うへつぼね)に賜(たま)はす。その恨み、ましてやらむかたなし。
 
(現代語訳)
 
 もったいない帝の御庇護をお頼り申しあげてはいるものの、更衣を軽蔑したり落度を探したりなさる方々は多く、ご自身はか弱く何となく頼りない状態で、なまじ御寵愛が厚いばかりかえってひどい気苦労をなさっていた。更衣のお部屋は桐壺である。帝が、多くの方々のお部屋の前を素通りなさってひっきりなしに桐壺へ行かれるので、その方々がお気をもまれるのもなるほど無理からぬことと思われた。更衣が参上なさるときも、あまり度重なる折々には、打橋や渡殿のあちこちの通路にけしからぬことをたびたびして、送り迎えの女房の着物の裾が汚れてがまんできないような、とんでもないことがあった。またある時には、どうしても通らなければならない馬道の戸を閉じて中に閉じこめて、こちら側とあちら側とで示し合わせて、進むも退くもできないように困らせることも多かった。何かにつけて数え切れないほど辛いことばかりが増えていったので、たいそうひどく思い悩んでいるのを、帝はますますお気の毒におぼし召されて、後凉殿に以前から住んでおられた別の更衣のお部屋を他にお移しになって、桐壺更衣に上局としてお与えになった。その方(後涼殿更衣)の恨みはまして晴らしようがない。

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