◆ 桐壺更衣の死
(一)
その年の夏、御息所(みやすどころ)、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇(いとま)さらに許させたまはず。年ごろ、常の篤(あつ)しさになりたまへれば、御目馴れて、「なほ、しばしこころみよ」とのたまはするに、日々に重(おも)りたまひて、ただ五六日(いつかむゆか)のほどにいと弱うなれば、母君、泣く泣く奏して、まかでさせ奉りたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留(とど)め奉りて、忍びてぞ出でたまふ。
限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いと匂(にほ)ひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩(おもや)せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言(こと)に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来(き)し方行く末思し召されず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色(けしき)にて臥(ふ)したれば、いかさまにと思し召しまどはる。手車(てぐるま)の宣旨(せんじ)などのたまはせても、また入らせたまひては、さらにえ許させたまはず。
「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見奉りて、
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり
いとかく思ひたまへましかば」と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、「かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむ」と思し召すに、「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵(こよい)より」と、聞こえ、急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
(現代語訳)
その年の夏、御息所(桐壺更衣)は、弱々しい感じにおちいってしまい、里に引き下がろうとなさったが、帝はお暇を少しもお与えにならない。ここ数年来の、いつもの病状だとお見慣れになって、「やはりこのまま、しばらく様子を見よ」と仰られているうちに、日に日に重くなられて、わずか五、六日のうちにひどく衰弱したので、更衣の母君が涙ながらに奏上して、やっと退出なさった。このようなときにも、あってはならない恥を受けでもしてはと心配して、若宮を宮中にお残しして、人目につかないように退出なさった。
もう限界だったので、お気持ちのままにお引きとめすることもできず、お見送りさえままならない心もとなさを、言いようもなく無念におぼし召された。たいそうみずみずしく美しくかわいらしい人なのに、ひどく顔がやつれて、たいそうしみじみと物思うことがありながらも、帝に言葉に出して申し上げることもできずに、生き死にも分からないほどにたびたび意識が薄れていかれるのを御覧になると、帝はあとさきもお考えにならず、いろいろなことを泣きながらお約束なさるが、更衣はお返事を申し上げることもできず、まなざしなどもとてもだるそうで、いよいよ弱々しく、意識もないような状態で臥せっていたので、どうしたらよいものかと途方にくれていらっしゃった。更衣のために手車の宣旨などを仰せ出されても、いよいよとなると再び更衣のお部屋に入られ、どうしても退出をお許しになる気になれない。
「死出の旅路にも、後れたり先立ったりするまいと約束したものを、いくら病気が重くても、私をおいてけぼりにしては行ききれまい」と仰ったのを、女もたいそう悲しくお顔を拝して、
「人の命には限りがあるものと、今、別れ路に立ち、悲しく思われるにつけても、私が本当に行きたいと思う路は、生きるほうの路でございます。
ほんとうにこれほど悲しい思いをいたしますのでしたら」と、息も絶えだえに、申し上げたそうなことはありそうな様子ながら、たいそう苦しげにだるそうなので、このまま最期となってしまうのも見届けたいとお考えになるが、「今日から始める予定の祈祷などを、しかるべき僧たちの承っておりますのが、今宵から始めます」と言って、母君の使者がせきたてるので、帝はやむを得ず退出させなさった。
(注)御息所 ・・・ 帝から寵愛を受けている女性の尊称。