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【御前にて人々とも】 ~第二百七十七段
日期:2014-06-29 17:16  点击:73193
 御前(おまへ)にて人々とも、またもの仰せらるるついでなどにも、「世の中の腹立たしう、むつかしう、片時あるべき心地もせで、ただいづちもいづちも行きもしなばやと思ふに、ただの紙の、いと白う清げなるに、よき筆、白き色紙、陸奥紙(みちのくにがみ)など得つれば、こよなう慰みて、さはれ、かくてしばしも生きてありぬべかめり、となむおぼゆる。また、高麗縁(かうらいばし)のむしろ、青うこまやかに厚きが、縁(へり)の紋いと鮮やかに、黒う白う見えたるを引き広げて見れば、何か、なほこの世はさらにさらにえ思ひ捨つまじと、命さへ惜しくなむなる」と申せば、「いみじくはかなきことにも慰むなるかな。姨捨(をばすて)山の月は、いかなる人の見けるにか」など笑はせたまふ。候(さぶら)ふ人も「いみじう安き息災の祈りななり」など言ふ。
 
 さて後、ほど経て、心から思ひ乱るることありて、里にあるころ、めでたき紙二十を包みて賜(たま)はせたり。仰せ言には、「とく参れ」などのたまはせて、「これは、きこしめしおきたることのありしかばなむ。わろかめれば寿命経(ずみやうきやう)もえ書くまじげにこそ」と仰せられたる、いみじうをかし。思ひ忘れたりつることを、思(おぼ)しおかせたまへりけるは、なほ、ただ人にてだにをかしかべし。まいて、おろかなるべきことにぞあらぬや。心も乱れて、啓すべき方もなければ、ただ、
  「かけまくもかしこき神のしるしには鶴の齢(よはひ)となりぬべきかな
あまりにや、と啓せさせたまへ」とて参らせつ。台盤所の雑仕(ざふし)ぞ御使ひには来たる。青き綾(あや)の単(ひとへ)とらせなどして、まことに、この紙を草子に作りなど、持て騒ぐに、むつかしきことも紛るる心地して、をかしと心の内にもおぼゆ。
 
(現代語訳)
 
 中宮様(定子)の御前でほかの女房たちと、また中宮様が何かおっしゃられるときなど、私が、「世の中が腹立たしく、煩わしくて、わずかな間も生きられそうにない心地がして、ただもうどこへなりとも行ってしまいたいと思うようなとき、普通の紙ながら、たいそう白くてきれいで、上等の筆、白い色紙、陸奥紙などを手に入れると、この上なく心が晴れ、ままよ、こうしてしばらく生きられそうだ、と思われてきます。また、高麗縁のむしろの、青々としてきめ細かな厚手のもので、縁の紋がとても鮮やかに黒く白く見えているのを引き広げて見ると、どうしてどうして、やはりこの世は思い捨てられないと、命さえ惜しくなってきます」と申し上げると、「とてもたわいないことにも慰められるものね。月を見ても心が慰められないという姥捨山の月は、いったいどんな人が見たのだろうか」などとお笑いになる。お側にお仕えしている女房も、「とても手軽な災難よけの祈りのようですね」などと言う。
 
 さてその後しばらくして、心の底から思い悩むことがあり、宮中を離れて実家にいるころに、中宮様が、すばらしい紙を二十ばかり包んで私に下さった。仰せごととして、「早く参上せよ」などとおっしゃって、「これは、聞き覚えていたことがあったから。ただ、この紙は上等ではなさそうなので、延命を祈るお経も書けそうもないようだが」とおっしゃったのがとてもおもしろい。私が忘れていたことを覚えておられたのは、やはり普通の人の場合でも情趣があるものだ。まして中宮様なのだから、ふつうのことと思ってよいのだろう。心も乱れて、中宮様に申し上げる方法もないので、ただ、
  「口に出すのも恐れ多い神(紙)の効果で、千年も生きる鶴の寿命となってしまいそうなほどです。
あまりに大げさでございましょうが、と申し上げてください」と言って参上させた。台盤所の召使がお使いとして来たのだった。使いの者に青い綾織りの単衣を与えたりして、この紙を草子に作るなどして大騒ぎしていると、まったく煩わしいことも紛れる気持ちがして、おもしろいものだと心の中で感じられる。
 
(注)陸奥紙 ・・・ 陸奥産の、厚手で細かなしわのある上質紙。
(注)台盤所 ・・・ 女房の詰め所。

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