11世紀初めに、清少納言によって書かれた随筆。跋(ばつ)文と300段前後からなる(伝本によって章段数が異なる)。『枕草子』の命名は、おそらく後人が跋文の「枕にこそは侍らめ」から命名したものと考えられ、「枕草子」が普通名詞となった経緯から、『清少納言枕草子』が正しい呼称とされる。
内容は類聚(るいじゅう)章段・日記的章段・随想的章段の3つに分けられる。さらに類聚章段は「山は」「木の花は」などの「は型」と、「めでたきもの」「うつくしきもの」などの「もの型」に分けられ、ともに当時の和歌的な美意識には収まりきれない新鮮な発想がみられる。日記的章段はおもに作者の約10年間の宮仕えを中心とする生活の記録で、主人の中宮定子をはじめ多くの人々との交流が生き生きと描かれている。和歌や漢詩の高い知識をふまえた機知に富んだやりとりが特徴的で、定子のサロンの文化水準の高さを物語っている。定子の父道隆の死後、中宮の周辺には不幸な出来事が続き、自ら明るくふるまうことで雰囲気を盛り立てていこうとする作者の姿が痛々しい。随想的章段は、日常生活や自然についての感想をつづったエッセー風のもので、冒頭の「春は曙(あけぼの)」の段などがふくまれる。
作品をつらぬくのは、明るく理知的な「をかし」の精神であり、同時代の「源氏物語」が「あはれ」の文学であったのと対比される。後代の随筆文学、とりわけ吉田兼好の「徒然草」に大きな影響をあたえた。