きょ年の父の日のことはぜったい一生わすれられません。
「パパが今日、二回もころんだんだって。何だろうね。とにかく、いそいでかえるよ。」
母が言いました。
いえにかえると、父はふとんにあおむけになっていて、こう言いました。
「うごけなくなっちゃった。」
母はびょういんにでん話をして、父をかついで車にのせました。わたしはだまってついて
いきました。
あとからおねえちゃんがびょういんにかけつけましたが、そのときはもう、父はだらんと
していました。おねえちゃんとわたしはタクシーでいえにかえって、父と母はきゅうきゅう
車でほかのびょういんへ行きました。
〝のうこうそく?というびょう気でした。
母はそのとき、おいしゃさんから、
「さいあくの場合( しぬこと)も考えておいてください。」
「もしなおっても車いす。どんなにがんばってもつえはのこりますよ。」
と言われていたそうです。
母はわたしたちが学校にいっている間、何ども大きな声で泣いていたそうです。
さいしょは、お見まいに行っても、父は赤ちゃんみたいに何もしゃべらないし、わたしがよ
んでもこっちをむくこともできませんでした。それでも、わたしたちは父の手や足をさすり
ました。何もかんじないらしいけれど、一生けんめいさすりました。
父はだんだん元気になってきました。ある日ゆびがうごいて、ある日すわれるようになっ
て、ある日、立てるようになりました。そして、とうとうある日、父は、つえにたよりながら、
ゆっくりゆっくり歩けるようになりました。
一年たった今。父のつえは下駄箱のおくにしまったままです。それどころか毎朝近所の遊
歩道を走っています。電車にのってしごとへ行きます。わたしをだっこしてくれます。
「次は、かた車が目ひょうなんだ。」
「かぞくをおいて、しぬわけにいかないよ。」
と、父はにこにこわらいます。
その〝思い?で、苦しいリハビリをがんばってくれたと思うと、心のそこから父に「あり
がとう」を言いたいです。
それに、あきらめないでがんばったら何でもできるということを、証明してくれました。
歩くことや話すことはあたり前ではなくて、すてきな〝きせき?なんだということも教えて
くれました。
ありがとう、パパ。パパ、ありがとう。