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第十六章:中国名人~鄧小平
日期:2015-01-14 11:51  点击:549
 鄧小平(本名は鄧先聖、後に鄧希賢と改名)は1904年8月22日、中国四川省広安県協興郷(現在の広安市広安区協興鎮)牌坊村に生まれた。中国共産党、中国人民解放軍、中華人民共和国の主要指導者の1人である。1977年、中国共産党第11期中央委員会第1回全体会議で、中国共産党中央委員会副主席と国務院副総理に復任した。1978年、中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議(第11期三中全会)で指導者の地位につき、1978年から1983年まで全国政治協商会議議長、1981年から1989年まで中国共産党中央軍事委員会主席、1982年から1987年まで中国共産党中央顧問委員会主任を務めた。 
 
 鄧小平は中国共産党または中華人民共和国の最高指導者の職に就いたことはない。1978年の第11期三中全会から1989年の第11期四中全会までの期間中、事実上の最高指導者に認められ、中国共産党党規約に盛り込まれ、確認された。死の間際(1997年2月19日)まで影響力を持ち続け、中華人民共和国政府の間では「マルクス主義者、無産階級革命家、政治家、軍事家、外交家、中国共産党2代目の中央指導グループの中心」と呼ばれている。 
 
 鄧小平は「改革開放」と「一国二制度」を提案し、鄧小平の政治理念を中心にした中国共産党の理論は「鄧小平理論」と呼ばれる。鄧小平は「中国改革開放の総設計士」と称され、20世紀後期の中国人に大きな影響を与え、世界を変えた。1978年から1985年までの間に2度、米誌『タイム』の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(Person of the Year)」に選ばれた。彼はかつて「私は中国人民の息子である。祖国と人民を深く愛している」と語った。 

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