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第十九章:中国考古~満城漢墓と金縷玉衣
日期:2015-01-14 13:41  点击:431
 中国の西漢時代(前206年―紀元8年)、人々は、玉が人の死体の腐敗を防ぐことができると信じていました。従って、皇帝や貴族らは死後、鎧に似た「玉衣」に包まれて埋葬されます。この玉衣は、様々な玉を金の糸で繋ぎ合わせて作ったもので、「金縷玉衣」と呼ばれています。1968年、ある考古学者が中国北部の河北省の満城県で、初めて完璧に保存された珍しい文物を発掘しました。 
 
 満城漢墓は北京から200キロ余りの河北省満城県にあり、西漢時代の諸侯国の中山国王劉勝とその妻の竇綰、彼ら二人の墓です。史書の記載によると、劉勝は前154年に中山国の国王に即位し、42年間在位した中山国の第1世代の国王です。 
 
 劉勝の墓は独立した山の上に建てられ、山全体が墓となっています。墓には多くの異なる洞窟があり、寝室、居間、音楽室などが含まれ、墓全体が豪華な山の宮殿のようです。 
 
 それらの構造から見て、劉勝の墓はよく考慮されて設計されたもので、工事は困難を極め、規模は広大でした。岩石質の山で厖大な墓を掘り起こすには、近代的な施工方法でも100人で1年間の時間を費やさなければ完成しません。 
 
 劉勝の墓からは数多くの副葬品が出土しました。これらの副葬品の中で、陶器が最も多く、次は銅器、鉄器、金銀器の順です。その中で最も著名なのは世界で知られる「金縷玉衣」です。 
 
 「金縷玉衣」はいずれも、長方形、方形、梯形、三角形、四辺形、多辺形などの玉からなり、玉の角に穴をあけ、黄金の糸で綴っています。玉衣は頭部、上着、ズボン、手袋、靴の5つに分けられてあります。頭部の内側に目の覆い、鼻を覆うもの、耳を覆うもの、口を覆うものが付いており、腹部には生殖器を覆うための小さな箱や肛門をふさぐものがついている。これらはいずれも、玉で作ったものである。玉衣の全長は2メートル近く、計2498個の玉からなり、金糸は約1100グラムです。 
 
 学者の研究によると、玉衣の製作過程はとても複雑で、まず、大塊の玉を切り、人の体の各部分の異なる形によって薄く磨き、その後、これらの玉の角に穴をあける。推測によると、玉の上の一部分磨かれた部分は0.3ミリほどで、穴の直径は1ミリしかない。その技は繁雑で精密度が高く人々を驚かせています。 
 
 劉勝と同様、竇綰の墓からも「金縷玉衣」が出土し、この玉衣も頭、上着、ズボン、手袋、靴の5つに分かれています。劉勝の墓と竇綰の墓から出土した「金縷玉衣」は完璧に保存されており、中国考古史上初めてセットとなる玉衣で、人々は漢の時代の玉衣の形と構造を知ることができました。 
 
 精巧な金縷玉衣のほか、劉勝の墓から、金、銀の医療用の針や「医工」という字が刻まれた銅製の盆が出土し、中国古代の針灸術と医学史の研究における重要な資料となっています。また、この墓から出土した銅製の水時計は今までに出土された中でも年代が最も古いもので、中国の天文学の歴史研究にとって重要なものとなっています。劉勝がいつも身につけていた剣は何度も繰り返し鍛造され、その表面は化学的処理を経て作られ、中国古代の錬鉄技術の傑作とも言われています。 
 
 満城漢墓は1988年、中国政府から全国の重点文物保護単位と定められました。

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