◆烏有(うゆう)に帰す
「烏」はカラスのことではありません。「烏(いずく)んぞ有らんや」と読み?「どうしてあるだろうか、いやない」という反語的な表現、つまり「全く何もないという意味です?とくに火災で丸焼けになって何もかもなくなる場合に使われます。
◆屋上屋を架す
原文は、「魏晋巳来、著す所の諸子、理重なり事復し、??????なお屋下に屋を架し、牀上(しょうじょう)に牀を施すがごときのみ」(魏?晋以来、いろいろな人たちが著した書物は?道理も事実も重複していて、まるで屋根の下に屋根をつくり、寝台の上に寝台を設けるようだ)となっており、「屋上」ではなく「屋下」なのです。どうやら日本に伝わってきたときに、下が上になってしまったようです。
◆隗(かい)より始めよ
中国の戦国時代。燕(えん)の国の昭王が、賢者を国に招こうとして側近の臣の郭隗(かくかい)に「どうしたらよいか」と尋ねました?隗は、
「昔ある国の王が一日千里の駿馬(しゅんめ)を探し求めましたが三年かかっても得ることができませんでした。そこである家来が死馬の骨を五百金で買いました?そうすると、死馬の骨でさえそんな高価で買ってくれるのなら、よい馬はどれほどの値段で買ってくれるのだろうのかという噂がわっと広まり?すぐに一日千里の馬が三頭も手に入ったといいます。王様は、まずこの隗(自分)を重用してごらんなさい。そうすれば、あんな隗でさえ重用されるのならと、もっと優秀な人材がたくさん集まってきます」と答えました?
昭王は、隗を後見役に就かせたところ、ぞくぞく人材が集まり、国を富強にすることができたという故事に由来することばです。