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中大兄皇子
日期:2015-07-23 10:50  点击:583
天皇中心の政治を確立した天皇
 
中大兄皇子 (なかのおおえのおうじ)
※ 天智天皇(てんじてんのう)ともいう。
 
● 活やくした時代   626年~671年  飛鳥(あすか)時代
● 活やくしたこと
   626年 舒明天皇(じょめいてんのう)の第2皇子として生まれる。
         蘇我馬子(そがの うまこ)が死去。
         蘇我馬子の子の蘇我蝦夷(そがの えみし)と孫の蘇我入鹿(そがの いるか)が権力をにぎり、自分勝手な政治を行う。 
   641年 父の舒明天皇がなくなる。
   642年 母が皇極天皇(こうぎょくてんのう)として天皇になる。
   645年 大化の改新がおこる。
        朝鮮からの使節をむかえる儀式の最中に、中臣鎌足(なかとみの かまたり)とともに蘇我入鹿(そがのいるか)を殺す。
         蘇我蝦夷(そがのえみし)はやしきに火をつけ、自害する。                                
        蘇我氏(そがし)がほろぶ。                       
        叔父(おじ)の孝徳天皇(こうとくてんのう)が天皇になる。
         中大兄皇子は皇太子(こうたいし)(天皇の位を次につく皇子)となる。
        改心の詔(かいしんのみことのり)を出す。
            ①人民と土地はすべて天皇のものである。(公地公民)
            ②全国を国に分け、国司(こくし)をおく。(中央集権)
            ③租・庸・調(そ・よう・ちょう)の税を実行する。
 
   652年 班田収授の法(はんでんしゅうじゅのほう)が実行される。
        人々に口分田(くぶんでん)を与え、死ぬと国に返させる法律
   655年 母が斉明天皇(さいめいてんのう)として再び天皇になる。
        (皇極天皇と斉明天皇は同じ人物)
   660年 朝鮮の新羅(しらぎ)が百済(くだら)に攻めこむ。
        朝鮮の百済(くだら)が救助を求めてくる。
   661年 百済を助けるため、斉明天皇が九州に向かう。
   663年 白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で日本軍はやぶれる。
         百済がほろぶ。
   667年 都を大津(おおつ 滋賀県)にうつす。(大津宮 おおつのみや)
   668年 中大兄皇子が天智天皇(てんじてんのう)になる。
   669年 中臣鎌足(なかとみの かまたり)が死ぬ。
   670年 庚午年籍(こうごねんじゃく)(国の人民の帳簿)がつくられる。
   671年 近江令(おうみりょう)(国の法律)がつくられる。
        死去(46才)
   672年 天智天皇のあとつぎをめぐり、壬申の乱(じんしんのらん)がおこる。
        天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と子の大友皇子(おおとものおうじ)のあらそい。 
        弟の大海人皇子が勝利し、天武天皇(てんむてんのう)となる。 
 
● 人 物 評
  中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の功績は、すべて、「改新の詔(かいしんのみことのり)」の実行にあった。それは、聖徳太子の意志をひきつぎ、天皇中心の政治の確立であった。中大兄皇子のもとで、大和朝廷は天皇中心の中央集権への道を着実に進んでいく。ただ、残念なことは、中大兄皇子(天智天皇)の死後におこった壬申の乱(じんしんのらん)のことである。自分の弟と息子によるあとつぎあらそいである。死後におこったこととはいえ、中大兄皇子にとっては、信じられないような汚点であったことであろう。だが、この壬申の乱(じんしんのらん)に豪族(ごうぞく)がまきこまれ、いっそう豪族の力が弱くなり、天皇の力が強くなることになる。なんとも、皮肉なことである。

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