幕府から明治政府への橋わしをした立役者
坂本龍馬 (さかもと りょうま)
● 活やくした時代 1835年~1867年 江戸時代
● 活やくしたこと
1835年 土佐藩(とさはん 高知県)の郷士(ごうし 下級武士)の次男として生まれる。
1853年 坂本龍馬が江戸(東京)で剣術の勉強をする。
アメリカのペリーが軍艦(ぐんかん)を率いてあらわれる。
1858年 安政の大獄(あんせいのたいごく)がおこる。
土佐藩主の山之内容堂(やまのうち ようどう)が隠居(いんきょ)させられる。
1861年 土佐の勤王党(きんのうとう)に加わる。
1862年 土佐藩を脱藩(だっぱん 藩を許可なくぬけだす)する。
江戸で勝海舟(かつ かいしゅう)に会う。
勝海舟を殺害するつもりで会いに行ったが、外国との力の差を知り、今は外国と貿易
して力をためるときだと知る。
1863年 勝海舟が幕府の海軍操練所(かいぐんそうれんじょ)の所長になると、勝海舟を助けて、練
習生の指導をする。
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浪人(ろうにん)が多かった海軍操練所は解散させられる。
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1864年 西郷隆盛(さいごう たかもり)に会う。
海軍操練所の練習生の保護を西郷隆盛にたのむ。
1865年 外国との貿易をめざして、亀山社中(かめやましゃちゅう)をつくる。
貿易して買った新型の武器を薩摩藩(さつまはん)や長州藩(ちょうしゅうはん)
に売る。
1866年 薩長同盟を成立させる。
坂本龍馬の仲だちで、桂小五郎(かつら こごろう 後の木戸孝允)と西郷隆盛の間
で同盟がむすばれる
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薩摩藩(さつまはん)と長州藩(ちょうしゅうはん)による討幕運動につながる。
1867年 亀山社中(かめやましゃちゅう)を海援隊(かいえんたい)に名前を変える。
「船中八策(せんちゅうはっさく)」をつくる。
憲法を作り、天皇を中心とした新政府の体制について書く。
土佐藩から幕府に大政奉還(たいせいほうかん)の案を出させる。
近江屋で中岡晋慎太郎(なかおか しんたろう)と会っている最中に、暗殺される。(33才)
● 人 物 評
坂本龍馬(さかもと りょうま)の果たした役割は、江戸幕府から明治政府へのつつがない政権の移動であった。この当時、日本はアメリカやイギリスの植民地となりかねない状況であった。この政権の移動がうまくいかず、戦争が長引いた場合、日本は中国のようにアメリカやイギリスの植民地となっていたことであろう。だが、大政奉還(たいせいほうかん)によって、多少の戦争(戊辰戦争 ぼしんせんそう)はあったが、無事に明治政府への政権の移動が行われることになった。坂本龍馬は若くして暗殺されることになるが、坂本龍馬が生きのびていたら、まったく違った明治政府ができていたのではないだろうか。その場合、日本の歴史もまったく違ったものになっていたことであろう。坂本龍馬の暗殺は、本当に残念なことであった。