「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄は、「僕は政治が嫌いです」と公言していた。「僕の思想は反政治的です」とも。しかし、政治から目を背けていたわけではない。政治という人間の営みについて、一つの冷徹な見方を持っていた。
被誉为“批评之神”的小林秀雄先生曾公开地说,“我讨厌政治。”;“我的思想是反政治的。”但是,他也说过决不能对政治不管不顾。对于政治这一人类的活动,他持有一种冷静的观点。
政治とは崇高な仕事であり、政治家とは人々を導く偉人であるといった考え方を小林は取らない。『学生との対話』に収められた質疑応答で、民主主義は日本を救うかと問われ、政治はそんな大層なものではない、とたしなめている。
小林先生并不赞同那些认为政治是崇高的事业,政治界是引导人们的伟人这些观点。《与学生的对话》中收录了这样一段问答,有人问他民主主义能否挽救日本?他告诫说,政治并没有这么伟大。
小林の考えでは、政治とは「事業」である。みんなで社会を作り、うまく生活していくための方法にすぎない。「私の人生観」という講演では、政治は「一つの能率的な技術となった方がいい」と語っている。誠に実務的、散文的な政治観だ。
在小林先生的观点中,所谓政治就是“事业”。它只不过是大家一起构建起了社会,过安逸生活的一种方法。在题为“我的人生观”的演讲中,他说“把政治当做一种高效率的方法就好。”这确实是一种实用的,平凡的政治观点。
となれば英雄は不要。政治家は「社会の物質的生活の調整」にあたる技術者であればよい。「政治家」と題する古い文章が、きのう発売の文芸誌「新潮」で発掘されたが、ここで小林は、大臣という存在を「才腕ある事務員」と表現している。
如此,则不需要英雄了。政治家变成负责“社会物质生活调整”的技术人员就可以了。昨天发行的文艺杂志《新潮》发掘出了这篇以《政治家》为题的老文章。在文章中,小林先生还表示所谓大臣就是“有能力的事务员”。
政治を突き放して見る。過剰な期待を抱かない。なぜなら、ファシズムに見られるように、熱を帯びすぎた政治は「兇暴(きょうぼう)な怪物」となって、私たちを「食い殺し」かねないからである。そうした苦い洞察が、小林の冷めた政治観の根っこにある。
撇开政治去看。不会抱有过度的期待。为什么会这样呢?看看法西斯,狂热的政治变成了“凶残的怪物”,我们有可能会被起“吞噬”。这种深刻的洞察,是小林先生冷静的政治观的根本。
選挙権年齢が18歳以上に引き下げられ、主権者教育のあり方が問われる。その教材の書棚の一角に、これらの小林の作品が並んでいてもいい。
选举权的年龄被下调到18岁,于是选民教育的方法被人质问。在放着这些教材的书架的一角,如果摆着小林先生的这些著作就好了。