北九州市の小倉で俳誌を主宰する寺井谷子さんから頂いた新句集に、原爆を詠んだ作があった。〈原爆投下予定地に哭(な)く赤ん坊〉、そして〈生きて古稀(こき)原爆投下予定地に〉。1945年のきょう、長崎で炸裂(さくれつ)した原子爆弾の第1目標が小倉だっただったことはよく知られる
在北九州的小仓主办俳句杂志的寺井谷子女士送了我一本新句集。其中有一首吟诵核轰炸的作品,<核爆预定地,传来啼哭声,新生小婴儿,惨死成冤魂>。还有一首,<人生已古稀,核爆预定地,不堪忆往事,幕幕尽惨凄>。我们都知道,就在1945年的今天,长崎上空爆炸的那颗原子弹,原本的第一目标是小仓。
視界不良のために数度旋回するも投下できず、B29は長崎へ機首を向ける。去りゆく爆音の下に1歳7カ月の寺井さんはいた。「哭く赤ん坊」とはご自身のことか、長崎の赤子の幻影か。寺井さんは難をのがれ、長崎の街は閃光(せんこう)に壊滅する
由于视野欠佳,几番盘旋后都没能够投下,于是,这架B29轰炸机将机首朝向了长崎。就在这逐渐消散的爆炸声之下,有一名才1岁零7个月的寺井女士。不知道句中的“啼哭得婴儿”是不是就是其本人?还是长崎婴儿的幻影?寺井女士幸免于难,而长崎这座城市在闪光中被彻底摧毁。
その閃光で妻と子ども3人を亡くした自由律の俳人、松尾あつゆきは忘れ得ぬ人だ。子は中1と4歳、一番下はまだ赤子だった。自ら木を組んで三体のなきがらを焼いた。〈あはれ七カ月の命の花びらのやうな骨かな〉
在这一闪光中失去了妻子与3个孩子的自由律俳人松尾敦行是一位令人难忘的人物。孩子中一个1岁一个4岁,最小的还是个婴儿。是他亲自架起了木块焚烧了三具尸体。<呜呼哀哉,七月之命,毁于一旦,块块白骨,凋谢花瓣>
妻も子らを追うように息絶えた。〈なにもかもなくした手に四まいの爆死証明〉。妻を荼毘(だび)に付した日に玉音放送が流れる。〈降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾(さか)りつ〉。慟哭(どうこく)を聞く思いがする
妻子也气绝身亡,像是追逐着这些逝去的孩子。<手中一切尽失,惟有四张证明,我等平民何罪,惨遭核弹夺命>。就在将妻子付之一炬的那天,传来了天皇投降诏书的宣读声。<投降诏书响耳旁,焚尸之火焰正旺,不忍爱妻成灰烬,泪流满面痛断肠>。我仿佛听到了他当时的恸哭。
広島に続き、長崎はきょう原爆忌を迎える。被爆地の願いは3度目の悲劇をなくすことだ。唯一の確実な方法は核廃絶しかなく、人類が手にした残虐な兵器は人類の手で葬るほかはない
在广岛之后,今天迎来了长崎核轰炸纪念日。绝不能让悲剧第3次发生,这就是被轰炸地的心愿。唯一且确实的办法只有废除核武,只有人类亲手埋葬自己制造的残暴武器这一条路可走。
歩みを止めたかのような核廃絶の動きのなか、帰らざるものを語り継ぐ人々は老いていく。広島の式典で非核三原則に触れなかった安倍首相だが、長崎では盛り込むという。お仕着せではない、魂のこもった言葉は聞けるか。
可是,废除核武的潮流就像是停止了前行的脚步。在此形势之下,叙述这些不归之人与物的人们正渐渐老去。据说,在广岛纪念仪式上未能涉及非核三原则的安倍首先将在长崎的仪式上加入这一点。不知道能否听到他由衷地话语而不是官样文章。