忌まわしい事件さえなければ2人も明るく登校していたに違いない。中1の平田奈津美さんと星野凌斗(りょうと)さんが通っていた大阪府寝屋川市の中学校は、きのうが2学期の始業式だった。去年の9月に書いた当コラムが頭をよぎる。
如果没有这件不幸的事,那么这2个一定会高高兴兴地去上学吧。初中一年级学生平田奈津美同学和星野凌斗同学所就读的大阪府寝屋川市的中学昨天举行了第二学期的开学仪式。我记得去年9月本栏曾写过这些。
「これからは第二学期で秋です」と宮沢賢治の童話『風の又三郎』の先生は登校してきた児童らに語りかける。「今日から又(また)いっしょにしっかり勉強しましょう」。このくだりを去年、神戸市で小1の女児が殺害されて見つかったときに引いた。
“今天起,第二学期开始了,又是一个秋天来到了。”,宫泽贤治先生的童话《风之又三郎》中的老师对入学儿童如此说到,“今天开始,大家一起好好学习吧。”去年,遇害的神户市小学一年级女学生遗体被找到时,本栏引用了这句话。
その子は2学期から、クラスの朝会などで音楽を流す係になって張り切っていた。希望があったろうに、むごい犯罪に胸が詰まるとつづった。前途ある命がまた魔手にかかり、ほぼ1年をへて繰り返すコラムに、悲しみと怒りが消えない。
这位学生将从第二学期开始认真负责的做好班级晨会时播放音乐的工作。明明已有希望,却发生了如此惨绝人寰的犯罪,令人悲痛,我在文中如此写到。约一年之后本栏又一次写到前途光明的生命再陷魔手, 内心感到无比的悲伤和愤怒。
中1といえば大人の入り口。なにごとにも背伸びをするのは成長の証しでもあろう。つけ入る凶悪犯罪から守れなかった悔いを、関わりのある人だけのものにはしたくない。
初中一年级可以说是成人的入口。一切都处于生长阶段也是成长的证明。没有从趁虚而入的犯罪中保下孩子的悔恨,不应该仅有相关负责人士来承担。
今の時代、見て見ぬふりをする人は多い。哲学者の鷲田清一さんが、それと逆の「見ないふりをしてちゃんと見ている大人のまなざし」について言っていた。誰それとなく、子どもが無茶をしないか黙って遠目に見ているような社会である。
在现今这个时代,很多人看见了也装作没看见。哲学家鸢田清一先生则说了句与此相反的话,“假装无视,实则关注的目光。”在这个社会中,无论是谁都只是远远地、沉默地关注着孩子是否平安,是否出格。
行うは難(かた)しだと誰でも思う。ただ、大人のひと声でかわせる危険もあるだろう。防犯カメラは有用だが心配する心までは持ち合わせない。ここは人の出番なのだと心の隅に留めたいと思う。当方も一人の大人として。
谁都觉得很难防范。但是,有的危险仅需要大人的一句话就能回避。虽然预防广播很有用,但却比不上警惕的内心。希望大家内心都怀有这样一个念头,这是人的任务。我也是一名成人,也要承担起相应的责任。