いつも私のお母さんは言っていた。「いい子にしてたら幸福の鳥が魔法みたいな幸せを運んでくれる。」昔、本で読んだセリフだった。私もお母さんもその言葉がファンタジックで好きだった。それから学校で嫌なことがあったり、友だちとけんかしたり、けがをして大泣きで帰って来たとき、いつも抱いて言ってくれた言葉だった。それまでつらかった気持ちも、不思議とほぐれる言葉だった。「人に好かれるいい子になりなさい。」お母さんとの大事な大事な約束。
小学校三年の春、私は京都から香川へ引越してきた。まだ慣れない方言、いつも迷う帰り道。心細さを感じたとき空を見て、見たことのない鳥を探す癖がついた。「幸福の鳥」本当にいるかどうかなんて当時の私には分からず夢中だった。「今日もあまりクラスメートとうちとけなかったな。でも明日、がんばろう。」と思えた。
次の日、いつものように学校へ行きいつもの席に座りいつもと違う気持ちで「おはよう」と言う。いつもかき消される私の声は大きく、クラスメート全員がふり向く。その瞬間にみんなが「そんな大声出るんだ」「おはよ。びっくりしちゃったよ」ってかけ寄って来てくれた。嬉しかった。それから私はクラスにとけこみ、友だちも増え、毎日が楽しくなった。
お母さんからの「人に好かれるいい子になりなさい。そうすれば幸福の鳥が魔法みたいな幸せを運んでくれる。」この言葉のおかげで勇気も出たし友だちもできたし、お母さんには恥ずかしくてまだ内緒だけど好きな人もできたよ。いい子を演じてるんじゃなくて本当に心からの気持ちでふれ合うとこんなにも幸せなんだって学び、感じた。
香川に引越して来て約二年。ずっと気になっていた男の子と一緒のクラス。お母さんにはまだ恥ずかしくて言えてない。もし言って否定されたらどうしよう。なんて考えていたのかな。
まだ学校のシステムを分かっていない。今日は席替えの日らしい。あたふたしながら決められた席へ移動した。一番うしろの窓側だ。「一番うしろか。黒板見えにくいな。」と思ったことを覚えている。窓側は外が見られて鳥を深せるから満足したことも覚えている。そして一番の驚きは、よく少女漫画とかである「好きな人の隣」ではなく前後だったこと。かなり残念だと思っていたけど隣なんて恥ずかしすぎるからこれくらいがちょうどいい。
授業中のうしろ姿より、外の鳥を見ていた。恥ずかしいから。でも、給食中は四人が机を合わせて食べるから隣になった。それでも時々外にいる鳥を見ていた。「鳥、好きなん?」その言葉に対して何て答えたっけ。その私の好きな人は微笑んでいたのを覚えている。それがきっかけで授業中、こそこそ話すようになった。「幸福の鳥」のことも特別に話した。二人だけの秘密だよと約束した。
たくさん話ができたことでようやくお母さんにその男の子について言った。「いい子にしてたんだね。ほら言った通り、『幸福の鳥』が運んでくれたでしょ。魔法みたいな幸せ。」本当にその通りだった。
小学校六年生の夏、授業中に前の席から手紙がきた。小さく折りたたまれてるくしゃくしゃの紙の中に大きく「好き」の文字。飛びあがるくらいの嬉しさ。もらった手紙の裏に「私も」彼も顔が赤かった。外の鳥を見ているふりをして、反射する彼の横顔をそっと見ていた。
「いい子にしてたら幸福の鳥が魔法みたいな幸せを運んでくれる。お母さんがおまえのお父さんと出逢った時みたいにね。」