息子が五歳だった時のこと。当時インドネシアに暮らしていた私たち家族は、毎年二週間ほど北海道の実家に一時帰国していた。例年は夏休み中の帰省だったが、その年はどうしても都合がつかず、真冬の季節に帰ることになってしまった。熱帯で生まれ育った息子にとっては初めて経験する冬となる。
風邪をひかないかと心配したが、息子は酷寒の中でも雪にまみれて遊びまわった。さすがは子ども、風の子だ。雪だるまを作ったり、氷柱でチャンバラごっこをやったり、思う存分北国の冬を楽しんでいた。
「雪が溶けると何になると思う?」
「水でしょう」
「違うよ。雪が溶けると、春になるんだよ」
楽しい時間は瞬く間に過ぎ、インドネシアに戻る日が迫って来た。すると息子は「雪を持って帰る」と言いだした。近所に住む親友のピートと約束したのだという。ピートはインドネシアの平均的な家庭の子なので、簡単には雪のある外国には行けない。ピートにぜひ雪を見せてやりたい。そう考えた息子は雪を日本から持って帰る約束をした。
まだ五歳とはいえ、親友と交わした約束だ。何としてでも叶えさせてやりたい。国外に雪を持っていく方法はないかと、あたふたと調べた。航空会社に何度も問い合わせてみる。
「おとうさん、雪は瓶に入れていくよ」
「それじゃあ駄目だ。ドライアイスを詰めて荷物にして送れそうなんだ。雪だるまの形にして固めて入れておこうか」
息子はすぐに反発した。
「ピートと約束したのはぼくだから、ぼくが自分で持っていく」
親の手で事が運ぶのに不満のようだった。親友との約束なのだ。自分の力で約束を果たしたい。顔がそう訴えていた。
「お金の力で親が問題を解決するのは、いいことではない」と妻も息子を擁護した。
結局、ステンレスの茶筒を使うことにした。息子はそこに雪を詰められるだけ押し込んだ。目が輝いていて、嬉しそうだった。残念だけどすぐに溶けてしまうよ、とは言えなかった。
息子は雪の詰まった茶筒をタオルでぐるぐる巻きにして大切に自分のバッグにしまうと、片時も身から放さず持ち帰った。
ジャカルタの家に着くと、予想通り雪は完全に溶けていた。それでも、息子は翌日の朝早く、大事そうに両手で茶筒の缶を包み込んで、三軒先のピートの家へと走った。
「わああ」と歓声があがったので、何事かと外に出ると、十人ほどの子どもたちが輪になっている。輪の中心には息子とピートがいた。周りには近所の子どもたちが集まって、頭を突き合わせるようにして缶の中を覗き込んでいる。「日本の雪が溶けた水だってさ。すごいな」と感嘆の声があがっていた。
息子は誇らしげだった。溶けてしまったとはいえ、自分が苦労して持ってきた雪だ。目を輝かせた子どもたちが自分を取り囲んで、憧れのため息をついている。
子どもたちはその水を「ハル」と呼んでいた。息子が冗談で教えた日本語だ。雪が溶けると「ハル」になる、である。「ハルは透き通ってきれいだね」なんて話している。
「ハル」はピートに手渡された。親友同士の約束が果たされたのだ。宝物として大切にするとピートは誓っていた。
ところが、ある晩、ピートが思いつめた顔をして家を訪ねてきた。妹が高熱を出して寝込んでいるという。ハルを使って妹の熱を下げたいというのだ。ハルはもともと雪だ。極寒の地に降る雪だった。きっと熱を冷やすのに効果がある。そう考えたピートは妹のために自分の宝物を使っていいか、息子に尋ねに来たのだった。もちろん息子は賛成した。
ハルを浸したタオルのおかげで、ピートの妹の熱はすぐに下がったという。
「ハルの魔法」が近所の子どもたちの間でしばらく話題になった。