二〇十三年八月、長いようで短い部活動生活の終わりを迎えた。私は空手道部に所属し約二年半の間、選手として活動してきた。先輩の背中を追いかけ、初心者ばかりの同期と共に努力を重ねた。気がつけば、私たちが追いかけられる立場になっていた。そんな三年の夏、私たちはある約束を果たしたのだ。
道着が届かなくてジャージで参加した、初めての県大会。当然、試合に出るわけもなく、一年生として選手のサポートに徹した。初めて見るレベルの高い試合、それまで聞いたことのなかった遠方の学校名に、胸が高鳴った。そして訪れた団体組手の決勝戦。健闘むなしく、負けてしまった。私はその時、初めて先輩の涙を見た。私も泣いていた。結果は、準優勝。たった一ヶ月活動してきただけの私でこんなに悔しいのだから、先輩はもっと悔しいはずだと感じた。どうしたらいいかわからなかった。その後のミーティングで、私の覚悟を確かにする言葉があった。「来年こそ、絶対に。」三年生の先輩が、皆そう言っていた。私は今まで、すぐに諦めることが多かった。だが、この言葉に心が震えた。先輩の悔しさを、ただの敗北にしてはいけないと感じたのである。その時私は、「チームの勝利に貢献できる、強い選手になりたい」と強く思ったのだ。
次の年、チームは再び悔しさを味わった。同期皆が覚悟した。「次は自分たちの番だ。」と。「絶対に優勝してインターハイへ」と思うと同時に、「本当に勝てるのか?」という不安に駆られた。不安をかき消すために私たちは新人戦に向け、練習に取り組んだ。後輩も含めて九人という少ない人数だったが、その分密度の濃い練習が出来た。朝や昼の時間にも、自主練習に取り組んだ。声をかけてないのに自然と皆が集まって、一緒に練習したこともあった。一人一人が向上心に溢ふれていたのだ。
訪れた新人戦、決勝の舞台。私はメンバーにはならず応援だった。先鋒、次鋒…と試合のたびに泣きそうになった。応援を忘れ見入ってしまうこともあった。誰もが固唾を飲んで見守ったその試合で、私たちのチームは勝利した。嬉しかった。私たちの代になって、初めての大きな大会だった。前年度には、先輩と涙を飲んだ大会だったのだ。その大会から、私たちのチームは勝ち続けた。東北大会で優勝し全国大会へ出場した。春には、今まで優勝したことがあまりないという大会でも優勝した。最後の県大会に向け、自信がついていた。それでも、不安は残った。毎日の練習で成長を実感し、拭いとっていた。
六月、運命の時がやってきた。二年間、ずっと心に残っていた約束「絶対に、インターハイに出場する。」を胸に、私は団体組手一回戦に出場した。相手校の選手が足りず不戦勝だった。私は、その時のコートの上の空気とプレッシャーを忘れることが出来ない。このプレッシャーよりも、もっと重圧のある場所で、先輩やレギュラーメンバー達が戦っていたのかと思い、心が震えた。そんな決勝戦、二勝一引き分けでの大将戦はどれだけのプレッシャーだったのだろう。その中で、必死に勝利への執念を燃やす仲間、応援するたくさんの声、会場の熱気はきっと忘れることはない。三年振りの、団体優勝だった。三度目の正直で、ついに果たすことの出来た憧れの先輩たちとの約束。皆で抱き合って喜び合ったあの瞬間、「ああ、この仲間とここまでやってきて、本当によかった。」と思った。
こうして出場したインターハイでは、初戦で九州の強豪に破れた。しかし、最高峰の舞台へ行けたこと、後輩たちと共に練習した時間は、かけがえのない思い出となった。ずっと悔しかったその思いを、勝利への執念に変え努力してきた。先輩たちとの約束が、私を成長させてくれたと私は信じている。