あの子たちはテレビニュースを見たのだろうか。1週間ほど前、同僚の記者から6通の「手紙」のコピーを見せられた。首都圏のある小学校の2年生6人が書いて、「安倍首相に届けてください」と校長室に持ち込んだという。
那些孩子们想必看了电视新闻吧。1周多前,从记者同事那里看到了6封“信”的影印件。这些是由首都圈的某所小学的6位小学二年级学生写的,他们写完后走进校长室,请求将信“交给安倍首相”。
いわば小さき有志である。どうしたらいいでしょうと、同僚は相談されたそうだ。見ると、ひらがなの多い文ながら戦争や平和について考えを懸命に書いていた。17日の参院特別委の採決は、これが現実とはいえ、あの子らには見せたくない言論の府の醜態だった。
真可谓个小志气大。同事们曾商量过如何处理这些信。我看了下,虽然信里有很多平假名,但可以看到他们竭尽全力写着有关战争与和平的事情。17日的参议院特别委员会的表决,虽说这是现实,但是言论之府的丑态还是不想让孩子们看到。
「議会の目的は殴り合いを議論に変えること」と、議会政治の本場英国のチャーチル元首相は言ったものだ。言葉の格闘こそ望まれるのに、集団格闘さながらの乱戦には大人も目を覆いたかった。
议会政治的起源地英国的首相丘吉尔曾说过,“议会的目的是将互殴转变为讨论。”虽然期望言论的交锋,但是宛如群架的乱战场面也大人也看不下去。
戦後最低の投票率だった前回衆院選をへて、政府与党の思い上がりはここに極まった感がある。反対者を尊重しつつ治めるという民主主義の要所を顧みない。米国の警句「悪い政治家をワシントンへ送り出すのは、投票しない善良な市民たちだ」が胸をよぎる。
经历了上次战后最低投票率的众议院选举后,我感觉执政党已经不顾一切,肆意妄为。其根本没有考虑到尊重反对者的同时治理国家,这一民主主义的要义。我想起一句美国的警句,“将恶棍政治家送进华盛顿的正是没有投票的善良市民。”
政治家も官僚も、政策を立案して進めるのは、それを仕事として税金から報酬を受けている人たちだ。片や市民はデモが仕事ではなく、報酬もない。やむにやまれず行動する人たちである。
无论是政治家还是官僚,都是将推动政策立案作为本职工作并由此从税金中获得报酬的人。另一方面,市民进行的游行并非是其工作,也没有任何报酬。这些人在这种情况下不得不站了出来。
茨木のり子さんの「内部からくさる桃」という詩から、一節を引きたい。〈ひとびとは/怒りの火薬をしめらせてはならない/まことに自己の名において立つ日のために〉。ここが新たな始まりになる。
在此,我想引用茨木女士的诗《内部腐烂的桃子》中的一段。“每个人,都要保护好自己愤怒的火药,为了以自己的名义站出来的那一天”。而这将成为新的开始。