違和感という言葉は、なるべく使いたくない。辞書には、なんともいえない嫌な気分、しっくりしない感じ、などとある。何かを批判する時に「違和感がある」と言うと、もっともらしく聞こえるが、言われた方は具体的にどうすればいいかわからない。
违和感这个词,我尽可能地避免使用。在词典上,它的意思是一种无法言表的厌恶心情、不合适的感觉。在批评一些事物时说“違和感がある”(不协调),听起来好像很有道理,但是对于被说的人而言,却不知道怎么做才是对的。
とはいえ明確な言葉がすぐに出てこない時には便利である。「1億総活躍」社会と聞いて直ちに感じたのは、まさに違和感だった。安倍首相が新たに掲げた目標だ。一人ひとりが職場や地域でもっと活躍できる社会を目指すという。1億総活躍プランを作り、担当相も置く。
话虽如此,在一些无法言明的场合下,这是一个好用的词。当我听到“一亿总活跃”社会时,我第一时间感到的是违和感。这是安倍首相新近标示的目标。其说的是每一个人在职场和地方更好发挥自己作用的社会。政府制定了一亿总活跃的目标,并设置了负责大臣。
類似の言い方を思い出す人は多いだろう。敗戦直後の「1億総懺悔(ざんげ)」、近いところでは「1億総中流化」。こうした表現ぶりは、大げさで大雑把だが、耳には入りやすい。
想必有很多人想起了类似的说法吧。战后立刻出现的“一亿总忏悔”,最近则是“一亿中产化”。这样的表达方式显得夸张,但人们却容易听进去。
違和感の出どころの一つは活躍という言葉だと思う。めざましく活動すること。だが、活躍できない人、活躍したいと思わない人も社会にはいる。「総」の中に入れない人、入りたくない人には息苦しく感じられる標語ではないか。
另一个出现违和感的词是“活跃”。其意思是令人瞩目的行为。但是,社会中存在着无法活跃以及不想活跃的人。没能加入“总”之中的人们以及不想加入其中的人们,这不是一个令人痛苦的标语吗?
もう一つ。活躍しているか否かには、「女性が輝く」か否かと同様、客観的な指標がない。「所得倍増」のような政策目標なら数値ではっきり結果が出る。掲げるには歴史の審判を受ける覚悟もいる。総活躍は、その覚悟に裏打ちされているのか。
此外还有其他。对于是否活跃,就如同“女性发挥作用”与否一般,没有客观性的指标。如同“收入倍增”之类的政策目标,通过数值就能得出清楚的结果。提出目标就要有接受历史审判的觉悟。总活跃,是否对这一觉悟有了充分的认识呢?
「総」は「個」の対極にある。総活躍は、個々の国民を一くくりにして上から号令をかけているかのようにも聞こえる。「総動員」の語は連想したくないけれど。
“总体”与“个人”是两个极端。总活跃听起来就像是将每个人国民统一为一个整体然后自上而下发号施令。虽然不想联想起“总动员”这个词……。