712年に出来上がったとされる『古事記』。その編纂にかかわったのは稗田阿礼とされます。しかし、その稗田阿礼という人物は実在したかどうか不明なのです。そして、『古事記』ができたのは、実はこれより100年後あたりではないかとする説があります。
その理由は『日本書紀』にも『続日本記』にも『古事記』ができたという記録がまったくないこと、それから、『日本書紀』にはゴマンとある写本が、『古事記』だと1371年ころに写されたものが最古で、それまでの写本が一切見当たらないこと。
だから、太安万侶が亡くなって100年後くらいに、私の家に伝わっている古文書がありますと持ち出した人がいて、それを元に書かれたのではないか、というのです。なぜ100年後かというと、当時の仮名遣いとピタリ一致するから。