戊辰戦争が終結し、新政府が全国を平定しましたが、実際に権力を握って中央集権国家を建設するには、旧幕藩体制時代の”藩”を大名の手から政府へ移管する必要がありました。そこで大久保利通、木戸孝允らが根回しを行い、1月に薩長土肥の4藩が見本を示す形で、領地と領民を朝廷に奉還する「版籍奉還」の建白書を提出しました。
全国の藩主もこれにならい、6月までに274藩すべての版籍奉還が完了しました。旧藩主には家禄が与えられ、そのまま「知藩事」に任命されました。結局、封建藩主が藩を治める形でしたが、藩主が政府によって任命された一行政官となった点に大きな意味がありました。
この時期、民衆の不満はピークに達していました。財力の乏しい新政府は農民に厳しい年貢を課しました。徳川時代以上の重税に加え、凶作に見舞われた農民たちは各地でたびたび一揆を起こします。また急激な近代化に批判的な士族は、新政府の要人暗殺に走りました。幕末、松平春嶽のもとで活躍し新政府の参与となっていた横井小楠、近代軍隊の基礎を作り上げた大村益次郎ら有用な人材が、相次いで暗殺されています。
長州藩では奇兵隊を始めとする諸隊が解体、新軍制への移行に不満を募らせ約2千人が脱走。農民の一揆勢力などと手を組んで反乱を起こし、翌年1月には山口藩庁を包囲する事態となりました。維新の原動力となった彼らは反乱軍に成り下がり、同年2月に維新とともに戦った木戸孝允の手で鎮圧され、多くの刑死者を出しました。