明治41年(1908年)のお話です。アメリカで開催される世界美人コンテストに日本代表を選出することになり、日本初の素人女性による美人コンテストが行われました。あの時代ですから、水着審査などはなく、審査員たちは、和服姿の写真を見て審査しました。審査員のなかには、彫刻家の高村光雲もいました。
厳選なる審査の結果、小倉市長の16歳の令嬢で、当時、学習院中等科に在学していた末弘ヒロ子が、みごと最初のミス日本に選ばれました。ところが、ここで事件が持ち上がりました。ヒロ子は華族の学校である学習院の生徒であり、しかも校長はあの乃木大将でした。乃木は「美人コンテストなどとは、けしからん」と激怒し、ヒロ子を退学処分にしたのです。
しかし、ヒロ子自身は、自分がコンテストに応募していたとは知らなかったのです。ヒロ子の義兄が、本人に内緒で写真を送ったのでした。それでもヒロ子は、退学処分を受け容れました。
その後、乃木大将は、意外な行動をとりました。彼みずからが媒酌人となって、ヒロ子を、陸軍元帥で伯爵の野津道貫の跡取り息子と結婚させたのです。伯爵夫人となったヒロ子は、当時としては最高の玉の輿でした。はたして乃木大将の真意や如何に?