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足尾鉱毒事件
日期:2015-10-24 14:13  点击:1157
 これは、栃木県足尾銅山の鉱毒で渡良瀬川流域が汚染されて社会問題化した公害事件で、日本で最初の公害事件といわれます。
 
 1610年に発見された足尾銅山は明治政府が官営事業として引き継ぎましたが、1871年に民間に払い下げられました。84年に大鉱脈が発見され生産量が飛躍的に増大し、精錬に伴う廃棄物も増えました。精錬用燃料の木材伐採や精錬で放出される亜硫酸ガスで山林は荒廃して大洪水も発生。銅・亜鉛・ヒ素などの有毒物を含む廃棄物が大量に渡良瀬川に流出し、流域に大きな被害を及ぼしました。しかし会社側は被害防止の対策をしませんでした。
 
 1890年、住民が鉱毒反対の行動を起こし、翌年には代議士田中正造が議会でこの問題をとりあげました。しかし政府は産銅業の保護育成を重視して抜本的な対策をとらなかったため、96年の大洪水で鉱毒被害は栃木・群馬・茨城・埼玉・東京・千葉にまで広がりました。以後、田中正造の指導で数千の住民が政府に直接請願と抗議を繰り返しました。1900年には群馬県川俣村で憲兵・警官隊による大弾圧(川俣事件)を受け、田中正造は01年に天皇に直訴しました。直訴状は社会主義者の幸徳秋水が代筆したものでした。これにより世論は高まり、支援運動も活発となりました。
 
 政府は、問題が各地の鉱山に波及するのをおそれて農民の移住を計画。1907年、谷中村を強制的に廃村とし跡地を遊水池にしました。こうして事件は収束しましたが、遊水池を含む渡良瀬川流域では、第2次世界大戦後までしばしば大洪水と大干ばつを繰り返し、鉱毒問題が再燃しました。

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