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東山文化
日期:2015-10-26 19:02  点击:1392
ウ 東山〈ひがしやま〉文化
 十五世紀後半の足利義政〈あしかがよしまさ〉(八代将軍)の時代を中心とする文化。
 建築は京都東山の慈照寺銀閣〈じしょうじぎんかく・1489年造営〉によって代表される。
 →一階は書院造〈しょいんづくり〉、二階は禅宗様〈ぜんしゅうよう〉。
書院造が僧侶・公家・武士の住宅として用いられるようになり、現在の日本的住宅の元になる。→僧侶の書斎の影響を受け、床〈とこ〉の間〈ま〉・棚〈たな〉・付書院〈つけしょいん〉などを設ける。
書院造:建物の内部を明障子〈あかりしょうじ〉、襖〈ふすま〉などで仕切って数室に分ける。室内全体に畳を敷きつめ、床の間・棚・付書院を備える。表座敷〈おもてざしき〉は上段の間とし、出入口〈でいりぐち〉として玄関を設ける。
 
 a美術・芸道
①絵画
雪舟〈せっしゅう・1420~1506〉:中国の模倣〈もほう〉から離れ、日本的な水墨画の様式を創造する。「秋冬山水図〈しゅうとうさんすいず〉」・「山水長巻〈さんすいちょうかん〉」
狩野派〈かのうは〉:狩野正信〈かのうまさのぶ・1434?~1530〉・狩野元信〈かのうもとのぶ・1476~1559〉が水墨画の構成と大和絵の彩色を融合させ、以後の日本画の主流となる。「大仙院花鳥図〈だいせんいんかちょうず〉」
②庭園:禅宗寺院を中心に枯山水〈かれさんすい〉が発達する。→水を用いないで、石や白砂を組み合わせて山水の自然を象徴的に表現する。
竜安寺石庭〈りょうあんじせきてい〉:白砂の上に石を配置して大海の様子を表現する。
大徳寺大仙院庭園〈だいとくじたいせんいんていえん〉:谷川の景観を石の組み合わせによって表現する。
③茶の湯:南北朝時代から喫茶の風習が定着し、茶の品質を競う賭け事〈かけごと〉(闘茶・茶寄合〈ちゃよりあい〉)が行われる。十五世紀後半に喫茶が武家〈ぶけ〉儀礼の一部として定着する。村田珠光〈むらたじゅこう・1423~1502〉が禅の影響により簡素な茶室の中で行う作法〈さほう〉を創始し、侘茶〈わびちゃ〉の開祖となる。侘茶は十六世紀より武野紹鴎〈たけのじょうおう・1502~1555〉を中心とする堺〈さかい〉の町衆〈まちしゅう・町に居住する商人や手工業者〉の間で発展した。
④生け花〈いけばな〉:床の間を飾る花を観賞する習慣が始まり、十五世紀末の池坊専慶〈いけのぼうせんけい〉・十六世紀の池坊専応〈いけのぼうせんおう〉・池坊専好〈いけのぼうせんこう〉らが芸術としての生け花を大成させる。
 
b宗教
①禅宗:五山派は幕府の衰退〈すいたい〉と共に衰え、林下〈りんか〉の活動が盛んになる。
林下:曹洞宗や臨済宗の大徳寺〈だいとくじ〉・妙心寺〈みょうしんじ〉など、五山派以外の禅宗諸派をいう。地方武士や庶民の間に広がる。大徳寺派の中では一休宗純〈いっきゅうそうじゅん・1394~1481〉が独自の活動によって注目を集めた。
②日蓮宗(法華〈ほっけ〉宗):日親〈にっしん・1407~1488〉により都市の商人層の間に広まる。
③浄土真宗(一向宗):蓮如〈れんにょ・1415~1499〉により、地方の農民層の間に広まる。門徒の農民は団結して戦国大名と対抗し、各地で一向一揆〈いっこういっき〉を起こした。
 一向一揆:浄土真宗の信徒が団結して行う土一揆。1488年、加賀国〈かがのくに〉で起きた加賀一向一揆では、守護大名の富樫〈とがし〉氏を打倒し、以後百年近く信徒を中心とした自治が行われた。
④神道:吉田兼倶〈よしだかねとも・1435~1511〉が本地垂迹説〈ほんじすいじゃくせつ〉に反対する立場から、神道を中心に仏教・儒教を統合しようとする唯一神道(吉田神道)を始め、神本仏迹説(しんぽんぶつじゃくせつ・本地垂迹説の逆)を主張した。

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