B 元禄文化(17世紀後半~18世紀前半)
元禄年間(1688~1704)五代将軍徳川綱吉〈とくがわつなよし・1646~1709〉の時代)を中心とする文化。政治体制が安定して文治政治が行なわれ、儒教・仏教が奨励されて諸学問が興隆した。また、経済が発達して町人〈ちょうにん〉の生活が向上し、上方〈かみがた・大坂・京都〉の町人が文化の担〈にな〉い手となった。
ア 儒学思想の展開
①朱子学の発展
a 徳川綱吉の文治政治の採用以後、封建秩序を維持するための教学とされて幕府が積極的に奨励する。1690年、林家の孔子廟・私塾(忍岡学塾・1630年林羅山が設立)を湯島〈ゆしま〉に移して湯島聖堂・聖堂学問所とし、林信篤〈はやしのぶあつ・1644~1732・林羅山の孫〉を大学頭〈だいがくのかみ・学問所の長官〉とする。以後、林家が幕府の文教政策の中心となる。
b 主要朱子学者
木下順庵〈きのしたじゅんあん・1621~1698〉:綱吉の侍講〈じこう・学問の講義をつかさどる役〉となり、弟子に新井白石〈あらいはくせき〉らを出す。
山崎闇斎〈やまざきあんさい・1618~1682〉:朱子学の思想を基本とした神儒一致論を説き、、垂加神道〈すいかしんとう〉を創始する。後の尊王〈そんのう〉運動に影響を与える。
貝原益軒〈かいばらえきけん・1630~1714〉:『養生訓〈ようじょうくん〉』『和俗童子訓〈わぞくどうじくん〉』などの通俗〈つうぞく〉教訓書によって庶民を教化する。
②陽明学
人間は生まれつき道徳的能力(良知〈りょうち〉)を有しているので、心の不正を正すこと(格物)によって良知を実現させること(致知〈ちち〉)を説き、それは実践を通じて実現される(知行合一〈ちこうごういつ〉)として、社会的行動を重視する。
中江藤樹〈なかえとうじゅ・1608~1648〉:孝を道徳の根本におき、「良知」を重視して日本の陽明学の祖となる。
熊沢蕃山〈くまざわばんざん・1619~1691〉:学問は時代的、地域的背景や身分によって変わるものであり、現実の為政〈いせい〉をどのようにすべきかに関わるものだとする。「大学或問〈だいがくわくもん〉」で武士の帰農〈きのう〉などを主張し、幕府の政治を批判する。
③古学派
朱子学の非人間的な厳粛〈げんしゅく〉主義、抽象的な理論を批判し、経書〈けいしょ〉の実証的研究により儒教本来の精神を探究しようとした。空理〈くうり〉より事実を重視し、形式的道徳律より自然な人間性を尊重し、積極的活動を重視する傾向が強い。
山鹿素行〈やまがそこう・1622~1685〉:「聖教要録〈せいきょうようろく〉」で、孔子や周公の教説を直接学ぶべきだとし、古代の聖人の教えは現実生活の規範〈きはん〉を与えるもので、道理は日常実用の事柄に限定すべきだとして、朱子学を批判する。また武士に対して為政者〈いせいしゃ〉としての心構え(士道)を説く。
伊藤仁斎〈いとうじんさい・1627~1705〉:『論語』『孟子』に依拠〈いきょ〉して経験的知識を重視し、「仁」を為政の理想とする。その学説は息子の伊藤東涯〈いとうとうがい・1670~1728〉に継承され、堀川〈ほりかわ〉学派(古義学派)と呼ばれた。
荻生徂徠〈おぎゅうそらい・1666~1728〉:古文辞学〈こぶんじがく〉(中国古代言語の習得を通じて聖人による礼楽刑政を明らかにする学問)を唱える。また従来の儒学が道徳のような内面の問題を基礎に置くことを批判する。儒学は道徳論ではなく政治論(安天下之道)であるとし、厳格な道徳の強制を否定して人間の自然な性情・精神の自由を尊重する。
蘐園〈けんえん〉学派を開く。→政治・経済に対する関心が強く、徂徠の「政談」や、門下生の太宰春台〈だざいしゅんだい〉による「経済録」などが著される。封建制の維持を目標とした重農〈じゅうのう〉主義を説く。
イ 文学・芸能・美術
①文学:出版業が発展し、町人の間に読者が増えたことにより、松尾芭蕉〈まつおばしょう〉・井原西鶴〈いはらさいかく〉・近松門左衛門〈ちかまつもんざえもん〉)を中心に大きく発展する。
②演劇
a 人形浄瑠璃〈にんぎょうじょうるり〉:近松門左衛門の脚本〈きゃくほん〉と竹本義太夫〈たけもとぎだゆう〉の語りによって全盛期を迎える。
b 歌舞伎〈がぶき〉: 17世紀初め、出雲阿国〈いずものおくに〉がかぶき踊りを始め、阿国歌舞伎と呼ばれる。元禄時代に野郎〈やろう〉歌舞伎が成立し、歌舞から劇的内容を持つ演劇へ転換する。初代、市川団十郎〈いちかわだんじゅうろう・1660~1704〉・初代、坂田藤十郎〈さかたとうじゅうろう・1647~1709〉ら、名優が出現する。
③絵画
a 大和絵系:土佐光起〈とさみつおき・1617~1691〉・住吉如慶〈すみよしじょけい・1599~1670〉・住吉具慶〈すみよしぐけい・1631~1705〉ら。「洛中洛外図〈らくちゅうらくがいず〉」
b 浮世絵〈うきよえ〉:木版〈もくはん〉によって大量印刷が可能になり、町人の間に広まる。菱川師宣〈ひしかわもろのぶ・?~1694〉が都市の風俗を描写する。「見返り美人図」
④工芸:都市の富裕〈ふゆう〉な町人の間に広まる。
尾形光琳〈おがたこうりん・1658~1716〉:「八橋蒔絵硯箱〈やつはしまきえすずりばこ〉」(蒔絵)。
「紅白梅〈こうはくばい〉図屏風」「燕子花〈かきつばた〉図屏風」などの装飾画にも優れる。
陶器:野々村仁清〈ののむらにんせい〉・尾形乾山〈おがたけんざん・1663~1743〉
円空:諸国を遍歴〈へんれき〉して、鉈彫り〈なたぼり〉の仏像を大量に残す。
和服:宮崎友禅斎〈みやざきゆうぜんさい〉が始めたとされる友禅染〈ゆうぜんぞめ〉が流行する。
ウ 学問の興隆
①歴史学:確実な史料に基づいて歴史を記述する実証的態度が発達する。
「本朝通鑑」〈ほんちょうつがん〉:幕府の命により、林羅山・林鵞峰〈はやしがほう・羅山の子・1618~1680〉によって編纂された編年体の史書。
「大日本史」:水戸藩主徳川光圀〈とくがわみつくに・1628~1700〉が1657年から編纂を始め、その没後も水戸家が編纂事業を継承し1906年(明治39)に完成した紀伝体〈きでんたい〉の史書。大義名分論に基づいており、幕末〈ばくまつ〉の尊王論に影響を与える。
新井白石〈あらいはくせき・1657~1725〉:徳川家宣〈とくがわいえのぶ・1663~1712・六代将軍〉・徳川家継〈とくがわいえつぐ1709~1716・七代将軍〉に重用され、1709~1716年に正徳〈しょうとく〉の治〈ち〉と呼ばれる文治政治を行う。「読史余論〈とくしよろん〉」によって日本の歴史に初めて合理的な時代区分を試みる。また古代史を合理的に解釈した「古史通〈こしつう〉」や、諸藩の歴史をまとめた「藩翰譜〈はんかんぶ〉」を著した。
②その他の学問
「農業全書」:宮崎安貞〈みやざきやすさだ・1623~1697〉著。日本初の体系的農学書。
和算:計算・測量の学。関孝和〈せきたかかず・1640?~1708〉が、円の面積・円周率などの研究を微分〈びぶん〉・積分〈せきぶん〉法に類似した方法で行い、西洋数学の水準に近づく。
本草学〈ほんぞうがく〉(博物学):貝原益軒〈かいばらえきけん〉が「大和本草」で、1362種の動物・植物・鉱物を解説し、本草学の基礎を築く。
天文・暦学:安井算哲(渋川春海)〈やすいさんてつ・しぶかわしゅんかい・1639~1715〉が天体観測をもとに貞享暦〈じょうきょうれき〉を作成し、幕府に採用される。