「政治的」という形容語がある。私たちの日常会話でも、人を評するのに「彼は政治的だ」などと使う。手元の辞書に「かけひきが上手な」という語釈があるが、油断していると丸め込まれそうな人、というニュアンスもにじむ。
有个形容词叫做“政治性”。在我们的日常会话中,在评价某些人时也会使用“他是政治性的”之类的话语。查阅了手头的词典,其解释是“善于谋略”,但也有表示一些人因为马虎而被哄骗的意思。
「『政治的』という語が、今日ほどわるい意味に用いられる時代もない」。政治学者の故永井陽之助氏がそう書いたのは、半世紀近く前のこと。政治は薄汚い。関わりたくない。人々に巣くう政治不信の深刻さの指摘だ。今はどうだろう。
“‘政治性’一词,其负面意思的使用没有一个时代比现在更多的了。”已故的政治学者永井阳之助在近半个世纪前多如此写到。政治是肮脏的。不希望与其有牵连。他深刻地指出了盘踞于人们心头的对政治的不信任。而今又如何呢?
関わり合うのを避けたいという点では同根か。「安保関連法に反対する学者の会」が、主催するシンポジウムを立教大で開こうとしたところ、講堂の使用が許されなかった。大学側は「会合は政治的意味も持ちうる」と指摘したと報道されている。
在避免与其发生关系这点上是同根同源吗?“反对安保关联法案的学者之会”想要在立教大学召开专题会之际,却被校方告知不准使用讲堂。有报道称大学方面认为“集会具有政治的意义。”
「政治的」なものの忌避と見える事例が続く。放送大は、試験問題に含まれていた政権批判の文章を削除した。これらはかつての政治不信というより、安倍政権に対する忖度(そんたく)に由来しているかと思える。
回避“政治性”事物的事例在不断的发生。电视大学在考试问题中删除了包含的批判政权的文章。而这些事件或许会令人觉得相比之前的政治不信任,更多的来源于针对安倍政权的揣度把。
学者の会のシンポは昨日、法政大で催された。政治学者で同大の山口二郎教授は、社会の中の「横からの」同調圧力に注意を促した。それは自由への脅威だ、と。
学者大会的专题会昨天在法政大学举办了。政治学者,同大的山口二郎教授敦促人们注意社会中“来自横向”的同调压力。这他说,这是对自由的威胁。