昭和の戦前と戦後、2人の大横綱を結びつける日付に「1月15日」がある。1939(昭和14)年のその日、空前の69連勝を続けていた双葉山が、ついに敗れた。殊勲の星をあげた新鋭の安芸(あき)ノ海が、郷里にあてて「オカアサン、カチマシタ」と電報を打った話はよく知られる。
一场战争将昭和分为前后两段,“1月15日”这一天将两位大横纲联系了起来。1939年(昭和14年)的这一天,达到空前的69连胜的双叶山终于败了。获得这一特殊功勋之星的新锐安艺之海给家乡发去了电报,“妈妈,我获胜了”,这件事想必大家都是知道的。
それから46年後の奇(く)しくも同じ日に、北の湖関は引退した。翌日の小欄は「巨木が倒れたあとの寂しさがある」と一つの時代の終わりを惜しんでいる。横綱での670勝は今も歴代1位を誇る。
此后的46年,巧合的是也在这同一天,北之湖关引退了。第二天的本栏写到,“大树倒下会一片落寞”,为一个时代的结束而感到惋惜不已。他在横纲这一位置上获得了670场胜利,其第一的记录至今仍无可动摇。
憎らしいほど強い、と言われた横綱だった。金星をあげ、故郷の父母に誇らしく「勝ちました」と伝えた若手もいたに違いない。心持ち反った背筋に、大きな腹。ふてぶてしい印象もあったが気遣いはこまやかだった。
有人曾经说这位横纲强得令人厌恶。但肯定年轻的选手获此金星(击败横纲),向家乡的父母夸耀“胜利”。稍微后弯的背脊,大大的肚子,虽然给人以狂妄自大的印象,但其实他的心思非常细腻。
横綱になってから、相撲を楽だと思ったことはなかったという。優勝して当たり前の存在だからと、最高位の重圧を語っていた。その綱を、歴代最多の63場所にわたって張った人の、思わぬ訃報(ふほう)に驚いた人は多かっただろう。
据说自从他成为横纲后,就感受不到相扑的乐趣了。他曾说,他感受了到了身居最高位的重压,因为获胜是理所当然。面对这位遍历史上最多的63个场馆获得横纲的人的讣告,感到震惊的人想必有很多吧。
まだ62歳、日本相撲協会の理事長だった。7年前、角界が大麻事件で揺れたときは理事長を引責辞任し、3年前に復帰した。組織を率いる苦労と心労は寿命を縮めるほどだったのか。想像するほかはない。
他才62岁。是日本相扑协会的理事长。7年前,相扑界因为大麻丑闻而风雨飘摇之际,他引咎辞去了理事长一职,直到3年前才回归。或许是率领团队的劳心劳力缩短了他的寿命吧。这着实令人唏嘘。
土俵一筋に支えてきた人を悼んで、九州場所会場の福岡国際センターには半旗が掲げられた。きょう、1年を締めくくる千秋楽は横綱日馬富士や白鵬らの優勝争いに興趣がつのる。大きな歓声は天上まで届くことだろう。
为了哀悼这位支撑起相扑界一角之人,九州场馆的福冈国际中心下半旗默哀。昨天,作为一年压轴的千秋乐因为横纲日马富士和白鹏等人的精彩比赛而人声鼎沸。想必这震耳的欢呼声会传到天上吧。