新聞の1面コラムは各社の記者が筆をふるう。ときおり人から「どの新聞の筆者がライバルとして手ごわいですか」と質問を受ける。「どなたも腕利きですから、非才を思い知らされます」と答えるのは、何も謙遜してではない。
各个报社的记者在报纸的专栏上奋笔疾书。有时,人们会问,“你将哪份报纸的编辑作为劲敌呢?”。“无论哪一位都非常厉害,让我知道自己有多无能”,之所以这么回答,也并非全出于自谦。
答えつつ、別の思いも浮かぶ。先の朝日歌壇にこの一首があった。〈新聞はサザエさんのみにあらずとぞ惇郎(じゅんろう)を読み秋の深まる〉。斉藤千秋さんという方の歌だ。1970年代に天声人語を担当した深代(ふかしろ)惇郎は、根強いファンが今も多い。
在回答时,我想起了一些别的事情。先前的朝日歌坛曾登载过这样一首诗。“秋日渐深,报纸非唯‘海螺小姐’(四格漫画),亦读惇郎文”,作者是齐藤千秋先生。1970年代,曾负责天声人语的深代惇郎先生,至今还有很多人崇拜他。
2年9カ月の短い執筆だったが、読者に深い印象を残した。その筆づかいを懐かしむ便りを、年に何通も本欄あてに頂戴(ちょうだい)する。比べて今の筆者を論ずる方もいる。たいてい辛(から)い。他紙の書き手にも増して手ごわい相手は、いわば身内にいる。
虽然他执笔的时间只有短短的2年零9个月,但是却给读着留下了深刻地印象。每年,本栏都收到很多怀念他文风的信件。也有人将当下编辑的风格与其相比。真是毫不留情。其他的编辑也是很厉害,但最为可怕的对手,果然还是在本社内部。
舌を巻くのは、泳ぐ鮎(あゆ)を見るようなコラムの生きの良さだ。教養と問題意識を深く湛(たた)え、そこへ英国仕込みのユーモアが溶け込む。評して「そりゃあ、香りが違う」と言った人がいたのはうなずける。
其专栏写得非常好,可谓是鬼斧神工。他的教养和问题意识令人非常赞赏,不仅如此,他还在文章中加入了学自英国的幽默。有人评价说,“这样一来,味道就完全不同了”,我对此深表认同。
天声人語は伝統的に、改行がわりに原則五つの「▼」を置いて話をつなぐ。本人は「五つの飛び石でものを考えるくせがつきました。そのために私の考え方が固定化することがあってはならない」と語っていた。胸に畳むべき戒めだと思う。
他也在文章中谈到天声人语用五个“▼”代替换行的话题,“我觉得这就是五块踏脚石。为此,我的思维方式绝对不能固化。”这是值得我们深藏内心的建言。
紙価を高める中で白血病に倒れ、「いつかもう一度、法隆寺を訪ねてみたい」と結んだコラムが絶筆になった。あす17日は深代没後40年の命日になる。本欄の先輩をしのぶ一文を許されたい。
在纸张高涨之时,他因白血病倒下了,他在最后的专栏中留下了绝笔,“什么时候能再去一趟法隆寺就好了”。明天,也就是17日,是他去世40周年的忌日。在此,请允许我写下此文来悼念本报的这位前辈。