10. 肥しも汲めて、ピアノもひける
大正時代は日本にとっては自由な時代で、いろいろな思想や、社会運動が現れました。教育についても八大教育思想などといって、様々な考え方がでて、それに基づいて学校が創設されたりしました。そのなかで、今の玉川学園の創設者である小原国芳(おばらくによし)さんは「全人(ぜんじん)教育」ということを主張しました。専門だけ詳しくやって全体としては分業というのでなく、一個人としていろいろなことに触れて総合的な人間になることを理想としようというのです。そのことを、具体的な標語で、「肥しも汲めて、ピアノもひけて」といっています。
大正期でいえば、ピアノがひけることは、誰にでもできるわけではない特別な上品な事柄でした。小原さんのいうのは、ピアノをひけることそれはそれで結構なのだけれども、それだけでは一方的で、ピアノと同時にあまり品の良くないことの代表である肥し汲みも平気でできる、そうでなければいけないというのです。
これは皮相的に考えれば、その人のもっているいろいろな能力を開発することが大切だということですが、深く考えれば、ここで要求されるのは、ピアノと肥しの間に、上品下品という差別をしないでいられるという、心のあり方の問題になります。食べ物でいえば、レストランで高級フランス料理も食べられれば、うすぎたない路地で少しぐらいは腐った食い物でも同じ様な態度で平気に食べられるということです。
大正期でも現代でもそうですが、教育とか学校というのは、そこに行かなかった人にはできない、何か特別なこと、そういったことを身につけるところだと考えられています。だから学校に行くことは、他の人に対して一種「抜け駆け」をする事であり、教えるほうも教わるほうも、それでいいと思っています。ここでいうのは、そうではなくて、特別のことも訓練の結果できるようになる、それは結構、しかしそれと同時に平凡なこと、労多くて人の嫌うようなこと、よごれたこと、こちらもできるのが、人間の理想であり、また教育のすべきことだというのです。