25. 和を知って和すれども、礼をもって節(せっ)せざれば
『論語』に、次の句があります(学而第一)。
礼の用は和を貴しと為す
和を知りて和すれども
礼を以て之を節(せっ)せざれば
また、行なわれず
ここで、和と礼の2つの言葉が用いられていますが、和とは、全体としての一体感です。和のもとでは、ほかとの区別が意識されませんから、そのことに由来する面倒のない、気楽な、気持ちのよい世界といえます。調和した世界とも言えます。しかし、こうした和のもとでは、事柄は先には進みません。引っかかるところがありませんから、全てがあるがままとして、認められてしまうのです。
事柄が見えてきたり、先に進むためには、全体に切り込んだ区別、差別が必要になります。区別、差別の総合が、形式、秩序です。我々は、和という全体性の上に、特定の区別や秩序を受け入れて、それに従って生きています。これが礼です。和と礼は大きく説明すると、こうなります。
そこで、この一文の意味は、我々は、ある秩序の世界いわば礼の世界に生きているのだが、礼は、単に形式だけというのではなく、そこに内容的なもの、和、一体感がないと、十分に機能しない。例えば、挨拶することはまさに礼だが、挨拶をしても心がこもっていなければ空しい。かといって、それではと、気持ちの良さ、和、一体感だけがあって、そこに何の形式もないと、また事は先に進まない。例えば、挨拶したいという親愛の気持ちがあっても、その表現がなされなければ、事はそれまでだと言うのです。
礼と和、これは形式と内容、強制と自由、というような事柄に連なる根本的な問題ですが、そのバランスをどうするかということです。