野次馬
再びロンドンに行った。
故ダイアナ妃の一周忌(とはいわないか)だったのである。去年のダイアナ妃の事故で英国中が大騒ぎだったのをテレビで見たので、今年はどうなるかとても興味があった。 命日にあたる8月31日はたまたまイングランドのバンクホリディ(bank holiday)で休みだったので、野次馬根性を発揮して出かけたのである。ちなみにバンクホリディのときは特に行事もなく、そっけなく休みになる。
ダイアナ妃の人気は未だ根強い。絵葉書の種類の多さは他のロイヤルファミリーの比ではないし、雑誌や新聞への露出度も高い。もはや醜聞の類は鳴りを潜めたようだ。7月のダイアナ妃の誕生日にあわせて生家のスペンサー家が建てたダイアナ記念館は、観光シーズンも相俟って連日にぎわっているそうだし、書店に行けばダイアナ本(と勝手に呼んでいるが)のコーナーがあって、写真集や生い立ちを綴った本などが平積みになっている。余談だが長男ウィリアム王子の写真集もよく売れているようである。母譲りの面差しをもった「将来王になる白皙の美少年」、母を失った悲運が余計に人々の関心を誘う。各地に追っかけのファンがいるらしい。
命日の前日にあたる日曜日、テレビは各局とも当然ダイアナ妃特集である。ニュースでもダイアナ妃の弟であるスペンサー伯のコメントが流されたり、一般視聴者から提供された秘蔵映像や、ダイアナ妃と恋人のドディ氏の晩年の日々を描いたドラマなどが放映された。ホームビデオで撮影されたものは、ダイアナ妃が各地の個人の家やお年寄りや体の不自由な人の施設を訪ねたときの映像が中心である。それについて関係者が登場して、どの人も目を輝かせてダイアナ妃のことを語る。そこに映し出されるダイアナ妃は生き生きとして、その訪問を心から楽しんでいるように見える。実に魅力的に動いている。
再現ドラマのほうは、高価な宝石をプレゼントされた彼女が「どんな高価な宝石よりも私が欲しいのは愛、あなたよ」などとクサイことをいうシーンもあるのだが、いたるところでパパラッチに追いかけまわされる日々の再現シーンは、本当に同情を禁じ得ない。
ロンドンへはバスで行くことにして、朝バスステーションに向かう。途中の百貨店で半旗が掲げられているのを見かける。ここは百貨店のくせに日曜日と月曜日が休みという不届きな店なのだが、バンクホリディの月曜日、営業せずに旗を掲げているのだろうか。
いつもならロンドン行きのバスはロンドンに入ってから渋滞で時間がかかるのだが、バンクホリディとあって車の流れは順調である。閑散とした街に半旗が掲げられている。国会議事堂を始め主要な建物も半旗になっている。バスはウエストミンスター寺院の前を通る。ここはダイアナ妃の葬儀が行われたところである。周囲の広場が悲嘆にくれる人々でいっぱいになったのだった。
まずはケンジントン宮殿に向かう。ここはダイアナ妃の住まいだったところである。
駅に降り立つと花束をもった人々が目につく。子連れの人も多い。ろくな地図を持たずにきたが、この分なら花束を持った人の流れについていけば自然と宮殿につくだろう。駅の花屋が盛大に店を広げている。きょうはかき入れ時だろう。赤いバラを一本ずつ包んだものや、結びつけやすいようにだろうか、茎の真ん中あたりにリボンがついているものもある。
ケンジントン宮殿に到着した。すごい人出である。混雑というほどではないが、宮殿の正門前は人だかりがしている。テレビ局の中継取材もきている。日本のテレビ局もいる。
門の鉄格子には一面に花束やぬいぐるみが差し込まれている。花束だけでなメッセージを書いたダイアナ妃の写真や、手作りのカードも共に置いてある。門に差しきれなかったものは、門の前に置かれ、さらにそのまま左右の柵に広がっている。メッセージカードはかなり大きなものもあり、刺繍のもの、手書きのもの、手縫いのもの、などさまざまに趣向を凝らしてある。
人々はそれをひとつひとつ読んだり写真をとったりしている。中には「ドディ氏と天国で幸せに」などと書いたものもあり、場所が場所だけにちょっとチャールズ皇太子が気の毒になる。
当局の手によるお知らせが柵に貼ってある。
「故ダイアナ皇太子妃の死を悼む皆様へ。花束や贈り物は2~3日中に回収され、状態のよいものは病院やホスピス、お年寄りのもとへ、おもちゃの類は子どもの施設に届けられます。」
それを承知の上なのだろうか、紙に包んだままの花束が多い。数は去年ほどではないようだ。まだ午後の早い時間ということもあるが、もっと熱狂的な人々はダイアナ妃が葬られているスペンサー家のほうに行くのかもしれない。泣いている人も見当たらない。
美しい公園に囲まれたこの宮殿で、ダイアナ妃は何を考えて暮らしていたのだろうか、とふと考える。伝えられている通り、彼女が敵(enemy)と呼んだ人々の中で孤独に過ごしていたのなら、この広さと壮麗さは残酷である。
野次馬は次はハロッズに行く。ハロッズのオーナーはドディ氏の父なのだ。
ここも当然半旗になっている。テレビカメラが追っている先を見ると、歩道に列ができている。列に沿っていくと記帳所があった。ショーウィンドウの一つに祭壇をしつらえて、その前で花束を置いたり記帳をしたりするのである。祭壇はダイアナ妃とドディ氏の写真をならべて飾ってあって、花や金の白鳥などをあしらった巨大なウエディングケーキのようなものである。中に噴水が仕込んであって所々水が湧き出している。先週来たときはなかったが、入念な準備をしたことが窺がえる美しいものである。
祭壇は内側からも見られるようになっていて、ここにも花束やメッセージなどがたくさん置いてある。ここに弔問に来た人たちはダイアナ妃とドディ氏の前途を祝福した人たちなのだろう、二人の写真や二人に宛てたメッセージが目につく。中にはハロッズの絵葉書にメッセージを書いたものもある。
店の内部は相変わらずの賑わいで、特に悲しみを表すものはない。そういえば従業員達の胸に赤い花が挿してあったが、それが弔意を示すものなのかどうかはわからない。
ケンブリッジに帰るバスの出発時間まで中途半端に空いたので、ついでにバッキンガム宮殿の様子も見て帰ることにした。バッキンガム宮殿の旗は女王陛下が在城時のみ掲げることになっているそうなのだが、去年ダイアナ妃が亡くなったとき女王陛下は避暑で不在だったため当然半旗を掲げず、それが「王室は冷たい」と批判されたのを思い出したのである。今年のバッキンガム宮殿は半旗になっていた。数は少ないが花束やメッセージも置いてある。しかしケンジントン宮殿といい、一時の熱病のような人々の悲嘆は収まったらしい。
ここに持ってきた人たちはどういう人たちなのだろう?
ケンジントン宮殿ならともかくバッキンガム宮殿である。女王陛下の御住まいである。
ダイアナ妃はたしかに皇太子妃の称号を許されていたが、離婚して婚家を出た人である。婚家を出た人が出た先で恋人と客死したからといって、お姑さんの家に弔問にこられても当惑するだろう。
将来ここに住むはずの「人々の女王(People's Queen)」だったからという理由は違う気がするし、ケンジントンまで行く時間がなかったというのも違う気がする。結構凝った作りのカードも多いからである。
半旗を数えながらロンドンの街を後にする。そういえば、ケンジントン宮殿が半旗になっていたか確かめてくるのを忘れた。