それじゃ、また来週
帰国まであと一ヶ月をきったが、相変わらずバタバタと動き回っている。毎日午前中に家を出て夕方帰宅するような生活である。
語学や手話のクラス、訪問研究員用の催し物、ボランティア、Conversation Exchange、植物園散策などの他に、たまに演奏会やお呼ばれなどが入るので、平日はだいたい一日あたり3つ以上の予定が入っている。一つ一つの用事は、週一回長くて2時間程度なのでどれも小さい。ただ移動時間や頭の切り替えを含めると結構な仕事量である。その日あったことの復習もしたい。周囲の人達も私が忙しいのを知っていてなにかと時間を融通してくれるので、結果すべてをこなすことになる。まるで15パズル(4×4のマスのうち一つだけ空きになっている並べ替えパズル)のようにスケジュール調整している。
先日、夫に一週間の予定を得意げに話したら「うーん、それって幸せなのかな」といわれた。ふむ。確かに。
実際少しは制限した方がいいと思って、年明けからはかなり絞り込んだのだが、その分密度が濃くなったのか、あまり楽になった気がしない。友人たちは「もっとくつろがなくちゃ」「余暇の時間をとっとかなくちゃ」という。「あんなに大きな家を借りてて、ほとんど家にいないんじゃもったいない」ともいう。
しかし私の場合、人に会ったり催し物に参加したりするのはその主たる目的はともかく、すべてにおいて「祈 英語上達」という邪な野望が隠されているので、生の英語に触れる機会をそうそう削るわけにはいかない。どれも手放せないのだ。
とはいうものの自分の中では優先順位もある。サボってしまうものもある。
ところで最近メキメキと優先度が高くなってきたものがボランティアの「病院のピアノ弾き」である。これを始めたのはここに来て一ヶ月ぐらいの時だったので、今やっているものの中では一番長く続けているのだが、楽しんで弾けるようになったのは比較的最近のことである。 もちろん義務感でやっているわけではなかったが、初めの数ヶ月はただピアノの前に座り、一時間黙々とピアノを弾いてくるだけだった。
お年寄りの反応は乏しいし、職員の人達も忙しく立ち回っていてあまり構ってもらえない。初めの頃こそボランティアコーディネータのグレンダさんが来てくれて、皆に声をかけて寝台椅子をピアノの近くに移動させたり、一緒に歌ったりして雰囲気を盛り上げてくれていた。そのうちグレンダさんも様子を見にこなくなると誰とも口をきかないで帰る時もあり、こんなのでいいのだろうか、と帰りのバスでため息をついたりもした。もちろんさび付いた指で弾くお粗末なピアノに申し訳なさも感じていたこともある。 「そこに生身の人間が行ってピアノを弾く」ということが大切なんだと割り切って通い、どの曲が喜ばれるのかと、ピアノに向かいつつ背中で精一杯情報収集をしていた。
ある日、毎日奥さんに昼食を食べさせに通ってくる老紳士が「シュトラウスのワルツを何か弾いてくれないか」という。うろ覚えで弾いたところとても喜んでくれた。ああ、やはり漫然とピアノを弾いているだけでは何も伝わらない。喜ばれるものを弾こう。難しくなくてもいい、わかりやすいなじみのある曲を弾こう。その足で町の図書館にいき、民謡や映画音楽の楽譜を借りてきた。 翌週その老紳士が現れるのを待って、いくつかのワルツを見繕って弾いた。 お年寄りに分かってもらえなくても介護する職員や家族の人達が上機嫌になれば、それは願ってもないことである。
病院にはロクな楽譜がないのだが、ギルバート&サリバンのミュージカルの抜粋集という薄っぺらな楽譜があった。実はここへ来て初めて知ったのだが、ギルバート&サリバン(William S.Gillbert, Arthur Sullivan)は1920年代頃のヒットメーカーで、日本を舞台にしたMIKADO(こちらでは「マイカ~ド」と発音する人もいる)というけったいなミュージカルもある。映画「炎のランナー(Chariot of Runner)」で主人公ハロルドの恋人となる歌姫が、出会いのシーンで舞台で歌っていた曲である。未だ人気がある。彼らの作品は他にもハロルド自らピアノを弾くシーンで流れていた(The Pirates Of Penzance)。ここにいるお年寄りのまさに青春時代の曲である。
そういう背景が分かってくると思い入れが違ってくる。自分が楽しんで弾くようになるとその気持ちが伝わるらしい。ギルバート&サリバンを楽しんで弾く若い日本人を面白がってか、話し掛けてくる人が増える。悲壮な顔をしてピアノを弾いている東洋人に、誰がすすんで声をかけようと思うだろうか。
肝心の聴衆は相当年季の入ったお年寄りなので、その週上機嫌でピアノを楽しんでくれたとしても、翌週になると全然反応が違ったりする。どうかすると「耳障りよ」などといわれて「あらら」ということもある。一人とても誉めてくれるかわいいおばあさんがいて(93歳)、一曲弾き終わる度に過分なお褒めの言葉を頂戴しているのだが、初めのうちはピアノを弾かないと私を認識しなかった。何度も通っているうちに、顔を見ると「あなたはピアノを弾きにくる日本人ね」といってくれるようになった。
最近では職員の人も「さあ、ピアノよ」といいながら寝台椅子を動かしてくれて、手の空いた人は座って一緒に聴いてくれていたりする。背中で感じる反応が以前とあきらかに違う。この間は居合わせた人全員に拍手までもらってしまった。もうじきここを去る身としては複雑な心境である。
バカヤロー、立ち去りがたくなるじゃねぇか。思わず心でそうつぶやく。
「それじゃ、また来週。」
そういって皆に手を振って帰る時に、この人達は私が突然来なくなったらどう思うのだろうという気持ちがよぎる。いっそすっぱり忘れてしまって欲しい、とも思う。