その光景は外国人観光客からすると、とても奇異だろうと思う。東京新宿の西口には多くのホームレスがいる。彼らは新聞を読み、ラジオを聴き、炊事もする。文字通り路上で「生活」しているのだ。お金や食料を求めさまよい続ける外国のホームレスとはかなり違う雰囲気がある。
私はその日、ホームレスの人に話を聞こうと新宿に行った。持っていった20個のパンは、ものの10秒程で私の手から無くなった。私は彼らが食べ終わるのを待って質問を始めた。
「わしらもこんな所いたくないよ。でも働けないんだよ。不況で日雇いの仕事がないし、ほとんどの人は足が悪くなったりしてなあ・・・」
五十七歳の男性は言った。彼は三十年間 、大工の日雇いの仕事をしていたという。以前あった仕事がバブル崩壊とともに無くなり、ホームレスになったそうだ。別の五十九歳の男性は、以前サラリーマンだったという。「大学も出たけど、会社に入っても何も面白くない。何もやりがいがなくてね。」何もしない日々が続き、いつの間にかホームレスになっていたと彼は笑っていった。
新宿区役所の福祉課では、ホームレスの人たちに対し、カンパンとカップメンを配っている。私は、今度は区の職員に話を聞いた。
「彼らは自分で何とかしようとしないんですよ。国民には勤労の義務があるということをわかっていない。食べ物あげてもきりがないんですよね。」ホームレスの人はなまけものだという顔をして、彼は言った。
彼らは、本当になまけものなのだろうか。確かに、彼らは仕事をしていない。都やボランティアの食料の支給にたよった生活をしている。甘えのある人が多いのは事実かもしれない。
しかし、目に見える結果だけから、彼らをなまけものと判断するのは性急ではないだろうか。『会社という組織になじめなかったから』『自由な日雇いの仕事がなくなったから』という彼らの言い分の奥を、私たちは見つめなければならないと思う。 私はホームレスの人に足りないものは自立心と自分のビジョンだと思う。常に変化する社会に対応できず、自分の行く末を見つけられなかった人達がホームレスだと感じる。
渋谷を歩く高校生は言う。「若いうちは好きなことをしたい。楽しみたい。」私は彼らが自分のビジョンや自立心を持てるのか疑問に思う。ふと彼らとホームレスが重なって見えた。