仕事を持ってからも、家賃ではいつも無理をしていたような気がする。
仮に、お給料が二十万円だとして、実際に使えるお金の中から家賃を捻出(ねんしゅつ)「想出,挤出」するとすれば、四分の一の五万円くらいが妥当なライン。でも、私は十万円くらいのスペースを借りていた。ああ、こんなことを思い出すたびに高すぎる家賃にカットする!
いつもお給料の半分以上は、家賃にいってしまっていたと思う。
私は家にいるのが好きだし、空間を楽しむことも好きだし、その中で工作などをすることが好きだから、テーブルや椅子といった具体的なものに情熱を傾けるよりも、「自分がいつもいて幸せでゆったりできる広さの空間」に情熱を傾けたかった。今でも、①この気持ちには変わりがない。
それに、仕事柄いろいろな家具を見ていたので、「今、この家具に決めて買ってしまうと、部屋の感じが定まってしまう。」
と考え、そのうちに、もっと自分の好きな家具に出会うかもしれない、などと思っているうちに、二十代、三十代はあっという間に過ぎた。
厚い、建材用のベニヤ板の下に事務用のキャビネットを置いて、下は収納、上は広いままの一枚板にしておく。そこにクリップライトをつけてスタンドを置く。
これが部屋の真ん中にメインとあって、ご飯を食べるのも、友達とおしゃべりするのも、原稿を書くのも、電話を掛けるのも、全部そこでやった。
このスタイルでずっと済ませてきたので、長い間ワンルーム暮らしだった。分かれたとしても、ベッドルームだけが別という感じだったから、家具らしきものは、さほど必要ではなかった。
ずっと昔から、ロフトというには狭すぎるが、何もないというところがロフトスタイルというか、スタジオタイプの生活で、仕事も私生活も二十四時間ミックスしていた。だから、家庭らしさと言ったことよりも、落ち着いて仕事ができることが、私の部屋の第一条件だった。
ソフャーがほしいとか、飾り棚がほしい、テーブルがほしいといった気持ちにならなかったのは、➁そのせいかもしれない。
つまり、③外の顔と家の顔というのが、きっぱり分かれていなかったのだ。いつも家にいる顔のようでいて、いつも働いているようなスタイル。だから、くつろぐということに対して、あまり興味がなかったとも言える。
今でも、くつろぐということ自体には、それほど興味はない。いわゆる「胡坐をかいて、ドデッとしてテレビを見る」という感覚に憧れたり、それで気持ちが休まるだろうと思ったことは、ほとんどない。
ただ、ベッドルームに関しては、切り離して考えないとくたびれるようになってきた。
昔はワンルームだったから、朝起きたらちゃんとベッドを整えてお客様が来てもいいようにスクリーンを立てたりしていた。
でも、三十代の半ばごろ、病気がちになったりしたこともあって、ベッドルームだけは壁で隔てたほうが便利だと思うようになった。ドアを閉めば、いつでも横になれるような場所も必要だと考えるようになってきた。
気兼ねせずに休めるそうな空間が一つあれば、それ以外に居間などの「くつろぐの場所」は、私にはあまり必要ではなかった。
ゴロッとして、だらだらテレビを見るのを好む人もいれば、そうではない人もいる。
家に置く必要なものは、④こうしたスタイルによって、ずいぶん変わってくるものである。
「問い」①「この気持ちには変わりがない」とはあるが、どんな気持ちか。
1 家具よりも住居のスペースにこだわりたいという気持ち
2 テーブルや椅子といった具体的なものにこだわりたいという気持ち
3 家具にも住居のスペースにもこだわりたいという気持ち
4 工作をすることだけを考えて住居を選びたいという気持ち
「問い」➁「そのせいかもしれない」とあるが、何のせいか。
1 ロフトスタイルの部屋に住んでいたこと
2 ソファーやテーブルが欲しいという気持ちがなかったこと
3 落ち着いて仕事ができることが部屋の第一条件だったこと
4 くつろぐことに興味があったこと
「問い」③「外の顔と家の顔というのが、きっぱり分かれていなかったのだ」とあるが、どういう意味か。
1 ロフトとスタジオタイムの生活は同じだったという意味
2 仕事と私生活の区別がなかったという意味
3 働く場所とテレビを見る場所の区別がなかったという意味
4 外出のときと家にいるときの服装は同じだったという意味
「問い」④「こうしたスタイルによって」とあるが、この場合「スタイル」とは何を意味するのか
1 テレビの見方
2 ベッドの置き方
3 休み方
4 暮らし方