筆者も児童文学の愛好家であるが、結論的に言うと、筆者は児童文学を児童のための文学とは思っていない。それは極端的に表現するならば、➁「児童の目」を通してみた世界のことを書いた文学である、と思っている。
子どもの目は幼稚とはかぎらない。それは時に、大人の目が常識によって曇らされているのに対して、はるかに透徹した(注)鋭さをもってものごとを見ているのである。
最近読んだ本に例をとるならば、アリスン.アトリー「時の旅人」(評論家)のなかで、主人公の少女ペネロピーは、療養のために田舎に行き、そこの古い屋敷のなかで400年も前の時代に入り込んでしまう。
③「時」というものは不思議なものだ。いったい「時」の流れに始めと終わりはあるのか、どのように流れているのか、本当のところはわからない。しかし、近代人の大人は時計で測られる時間の観念に縛られてしまって、それは一様に直線的に流れてゆくと信じている。
それは決して一様ではないし、ひょっとすると直線的ではないかもしれない。私が今現在生きている「時」は、思いのほかに過去(かこ)の時や未来の時によって裏打ち(衬里、保证)されているのである。しかし、子どもにとってむずかしい時間論は不要なのだ。
少女のペネロピーは、現在のなかに過去の時間をみるだけではなく、そこに生きることになる。そこで、彼女がどれほどの意味深い「時」の体験をしたかは原作を読んでいただくことにして、ここには省略する。要するに、大人たちが常識に縛られて、その世を単層的に知覚しているとき。子どもの目はその重層性に気づき、思いがけない現実をわれわれに露呈(暴露)する。それを描き出すのが児童文学なのである。
(注)透徹(とうてつ)した:曇りがなく、遠くまで見通せる様子。
「問い」何が①「誤解もはなはだしい」のか。
1 大人が児童文学を読むのは名作だからだということ
2 最近の学生は幼稚ではないと考えること
3 児童文学を借り出す学生が増えてきているということ
4 最近の学生が幼稚だから児童文学を読むのだということ
「問い」➁[「児童の目」を通してみた世界]とはどういう世界か。
1 幼い子どもでも理解できるような世界
2 大人の常識にとらわれないような世界
3 不思議だけれども現実の世界
4 子どもにしか理解できない現実の世界
「問い」一般的に大人は③「時」をどのようにとらえているか
1 過去、現在、未来と直線的に流れているもの
2 現在の中に過去や未来を入り込んでいるもの
3 始めも終わりもなく流れているもの
4 時計で測ることができるとは限らないもの
「問い」筆者によると、児童文学とはどういうものか
1 子どもの目を通して時間の重層性を書いたもの
2 子どもの目を通して大人の気づかない世界を書いたもの
3 子どもに不思議な世界を体験させるように聞いたもの
4 子どもたちが楽しんで読めるように工夫して書いたもの
一級短文読解(34)
日期:2016-09-11 09:02 点击:379
最近、大人の人で児童(じどう)文学を読む人が増えたという。ある大学図書館の係の人に聞と、児童文学の名作をそなえておくと、だんだん借り出す学生が増えてくる、ということである。これを聞いて、最近の学生は「幼稚だから」などと考える人がいれば、それは①誤解もはなはだしいといわねばならない。
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