「あれ? どこだ? どこにいったんだ?」
ここは、むかしむかしの、奈良の大仏がある東大寺です。
ある日、大仏さまの目玉が抜け落ちて、どこヘいったかわかりません。
お坊さんたちは、さっそく京都や大阪から大仏作りの親方たちをよんできて、
「大仏さまの目玉を入れかえるには、どれほどのお金がかかる?」
と、値を見つもらせました。
すると、親方たちは、
「そうですな、千五百両(→1億円ほど)はかかります」
と、いうのです。
親方たちの考えでは、まず下で大きな目玉をこしらえ、目玉が出来たら足場を組んで、大仏さまの目にはめようというものです。
お坊さんたちは、
「それは高すぎる、千両にまけろ」
と、いいますが、親方たちは、
「それでは赤字です。こちらも商売ですから」
と、いいます。
「まけろ」
「まけられぬ」
「まけろ」
「まけられぬ」
そこへ、江戸からきた見物の一人が顔を出しました。
「わしなら、二百両(→千四百万円ほど)で、直しましょう」
それを聞いた親方たちは、
「馬鹿にもほどがある。なんでこれが、二百両で直せるものか」
と、笑いました。
ところが、江戸の男はこう考えたのです。
(目玉が抜け落ちて見つからんとすりゃあ、大仏さまの体の中ヘ落ちたにちがいない。それを拾って、はめ直せばいいだけだ)
お坊さんたちはお金がないので、江戸の男に頼む事にしました。
江戸の男が目玉の穴から中に入って探すと、やっぱり目玉がありました。
さっそくかついで上にあげ、大仏さまの目に、ピタッとはめました。
お坊さんや親方たちは、それを見て言いました。
「あいつ、目玉をはめたはいいが、自分はどこから出てくるつもりだ。出口はないはずだが」
するとなんと、江戸の男は大仏さまの鼻の穴から出てきたのです。
みんなは感心して、
「ほほう、目から鼻へ抜けおったわい」
と、江戸の男をほめたたえました。
それからです。
かしこい人のことを『目から鼻へ抜ける』と、言うようになったのは。