奈良の東大寺(とうだいじ)で、「華厳経(けごんきょう)」というお経(きょう)の話しをする会が、初めてもよおされる事になったときのお話しです。
会の日どりは決まりましたが、お経の話しをしてくれる人をだれにするか、なかなか決めかねていました。
そのとき、天皇(てんのう)が、
「夢で告げられた事だが、朝一番先に寺の門前で出会った者を先生にするがよい」
と、お寺に伝えてきたのです。
お寺ではそのとおりにする事にして、その日の夜明けを待ちました。
すると、お寺の前を一番先に通りかかったのは、魚を入れた大きなザルをてんびん棒でかついだサバ売りだったのです。
(はて、この人に、お経の話ができるのだろうか?)
と、思いましたが、天皇の夢のお告げですから、だまって見送ってしまうわけにはいきません。
サバ売りを呼びとめて、わけを話すと、
「と、とんでもねえ。わしはこうして、サバを売ってくらしておるだけの者じゃ。お経の話しだなんて、とてもとても」
「しかし、天皇のお告げが」
「天皇なんて関係ねえ。生ぐさい魚は食わねえ坊さんたちにはわかるめえが、サバという魚は、すぐに腐るんじゃ。生き腐れといって、それこそ生きているあいだにも腐るんじゃ。さあ、ひまをつぶしておるわけにはいかんから、道をあけてくだされ」
「まあまあ、そこをなんとか」
立ち去ろうとするサバ売りをお寺の人たちはなおもひきとめて、やっとのことで本堂へ連れていきました。
「仕方ねえな」
観念したサバ売りは、八十匹の魚を入れたままのザルを机の上に置きました。
「あんな生ぐさいものを、机の上に置くとは」
集まった人たちが困った表情をしましたが、不思議な事に、八十匹のサバはたちまち八十巻のお経の巻物にかわったのです。
そして口を開き始めたサバ売りの言葉を聞いて、人々はビックリしました。
サバ売りは古いインドのお経の言葉で話しはじめ、とちゅうで話をやめると、机の前から立ちあがって本堂から出ていってしまったのです。
不思議なサバ売りが魚をかついでいたてんびん棒は、回廊(かいろう→長くて折れ曲った廊下)の前につき立ててありました。
その棒からはたちまち枝や葉っぱが出て、柏槙(びゃくしん→ヒノキ科の常緑高木)という木になりました。
もしかするとサバ売りは、仏さまだったのかもしれません。
こののち、東大寺で毎年三月十四日にひらかれるお経のお話会の先生は、このサバ売りにならって、お話しを途中でやめて、本堂からだまって外へ出ていく事になったという事です。