「学び」のプロセス(注)は、何らかの感情の動きを伴っている。(①)、新しい事態を以前の「知識」で理解できないでいたときに誰かから説明を受け、なるほどそうだったのかと納得し、それを取り込んで新しい「知識」を自分の中につくるとき、その人は小さな感動という感情を体験するはずだ。自分で調べて発見して納得し、新しい「知識」を自前でつくりあげるときも、感情の大きな動きを体験する。「やったぁー!」というのに似た感情だ。だから「学び」というのは、静的で冷たい心の働きではまく、動的な、人間にとってとてもうれしい営みになるはずだ。
こう考えると、私たちは日常、絶えず「学び」を経験していることがわかる。ただ、「学び」にはある種の感動が伴うものであるということを踏まえると、「学び」にも浅い深いがあると考えたほうが適切だろう。「学び」が深いほど、感動が大きい。あるいは「学び」が深ければ深いほど、心身に新しいものが付け加わる度合いが大きく、行動までもがそれによって変化することがある、ということもできる。
(注)プロセス:過程;経過;道程
「問い」(①)に入れる言葉として最もよいのはどれか。
1 つまり
2 たとえば
3 ところが
4 そのうえ
「問い」筆者はどのようなときに、「大きな感動」を体験することができると考えているか。
1 学校での勉強を通して新しい知識を身につけたとき
2 人から説明してもたって、何かを理解したとき
3 日常生活を通して教訓をいろいろ学んだとき
4 自分で調べて、何かを発見して納得したとき
「問い」筆者が最も言いたいのはどれか。
1 「学び」のプロセスは、「学び」に相応した感情の動きを伴っている
2 「学び」は動的で情的な営みだ
3 新しい知識が身に付いたとき、感動を体験するのだ
4 「学び」にも浅い深いがあると考えて、深く学んだほうがいい