学校の国語教育が、変わり始めている。今年は小学校、来年は中学、最来年は高校という順で、国語の教科課程が新しくなる。そこで教科書も、新しい枠組みで考える必要が出てきた訳だ。何が変わるのか。一言で言えば「話し言葉」の教育をしようということだ。「やっと、そこまで来たか」というのが、私の実感である。むしろ、今までやっていなかったことが、不思議だったのだ。
今、私は、何カ所かで「話し言葉」の講座を持っている。NHK文化センターでは、マスコミを志望する学生のための講座がある。学生たちは「マニュアルでももらって話し方でも勉強しようか」程度の軽い(注)ノリで応募してくる。そして、最初の授業で私が、「ここでは、話し方も教えないし、読むこともしない」というと大半の学生は、①当てが外れた顔をする。しかし一回目の授業が進むにつれて、学生の目は輝き始める。そして「こんな大切なこと、なぜ今まで学校では教えてくれなかったのだろうか。もっと早く学べていたら。。。」という。
別に卓抜な講義をしている訳ではない。当方にしてみれば、ジャーナリストのための教育の前に、言葉に対する考え方を、少々述べるだけなのだ。それも当然のことしか言わないのに。(略)
対話力とは「読み取る力」「思う力」、それに「届ける力」の三つを総合した力なのだが、最初に鍛えなければならないのは「読み取る力.受け取る力」なのだ。これをしっかりとトレーニングする。そして体の中に「考える」とか「感じる」といった「思う力」を育てる。最後に、「思い」を言葉に翻訳しながら組み立てて、相手に届ける。届けながらも、場を読み、相手を読む。これが対話だ。
今、大手のS出版社の依頼を受けて、中学校向けの「話し言葉」の教材とマニュアルを作っている、先方の話によると、日本で初めての試みだそうだ。初めてだからすべてがオリジナルである。そうか、初めてなのか。ぶ然とせざるを得ない。
「思いやりを持て」「相手の身になって」「元気に大きな声で」そんな曖昧な指導ではなく、届く言葉を獲得するための具体的な教育法が必要なのだ。
新しい学習指導要領を見ると「思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし。。。」とある。実りある教育を期待しよう。
「しかしね」と現場の先生がつぶやいた。「結局、②あまり変わりませんよ。受験にはあまり関係ありませんから」。そうか、やっぱり受験、受験と活字だけに追われるのか。しかしね、先生。最後の関門、入社試験はインタビュー、「話し言葉」なんですがね。日本の子供は苦労するよ。③かわいそうに、全く。
ノリ:調子
「問い」下線①「当てが外れた顔をする」のはなぜか。
1 NHKの講座なのに、マスコミの入社試験の勉強をしてくれないから
2 マニュアルで話し方を勉強しようと思っていたのに、それをやらないから
3 大切なことなのに、今まで学校では教えてくれなかったから
4 マニュアルでももらおうかという軽いノリで応募したのに、大変そうだから
「問い」現場の先生が②「あまり変わりませんよ」というのはなぜか。
1 日本では初めての試みなので、まだ教育法が確立されていあないから
2 「思考力や想像力を養い言語感覚を豊かにし。。。」と、相変わらずあいまいな指導をしているから
3 「話しことば」は受験になく、熱心に取り組むとは思えないから
4 今教材を作っているというように、準備不足は否めないから
「問い」何が③「かわいそう」なのか。
1 受験、受験と活字だけに追われること
2 「元気に大きな声で」などというあいまいな指導を受けているから
3 受験に関係ない「話しことば」を勉強しなければならなくなったこと
4 入社試験は受験に関係ない「話しことば」で受けなければならないこと
「問い」筆者は「会話力」をどんな力だと言っているか。その要素として正しくないものを選びなさい
1 自分が何を感じ、どう考えるかという力
2 思いやりを持って、相手の身になって考える力
3 何が書かれているか、相手が何を言っているかを理解する力
4 自分の「思い」を言葉にして相手に届ける力