むかしむかし、一休さん(いっきゅうさん)と言う、とんちで評判の小僧さんがいました。
その一休さんが、大人になったころのお話しです。
「あけまして、おめでとうございます」
「今年もどうぞ、よろしくお願いします」
と、人びとが、あいさつをかわしているお正月の朝。
初もうででにぎわう町通りを、きたない身なりの坊さんが一人やって来ました。
一休さんです。
しかしどうしたことか、長い竹ざお一本を、高だかとかついでいるのです。
そしてその先っぽに、なにやら白いものがくっついています。
「なんだい、あれは?」
よくよく見ると、それはどくろ(→人間の頭の骨)でした。
人びとは気味悪いどくろを見上げて、ビックリ。
「正月そうそう、なんと悪ふざけをする坊主だ」
「一休さんは、頭でもおかしくなったのか?」
と、口ぐちにさわぎました。
けれども一休さんは、そんな言葉を全く気にせず、すました顔で、どくろをかついであるいています。
物好きな人たちは、一休さんのうしろから、ワイワイとついて来ました。
やがて一休さんは、町で一番のお金持ちの金屋久衛(かなやきゅうべえ)さんの立派な家の前に立つと、耳が痛くなるほどの大声で、
「たのもう、たのもう。一休が正月のあいさつにまいりました!」
と、いいました。
家の中から人が出て見ると、きたない身なりの一休さんが、気味の悪いどくろをつけた竹ざおをつき立てているので、腰をぬかさんばかりにおどろき、大あわてで家の主人に知らせました。
いつもうやまっている一休さんが、わざわざあいさつにやって来たときき、主人は急いで出てきました。
「やあ、これはこれは、久衛(きゅうべえ)さん、あけましておめでとう」
「一休さん。これはどうも、ごていねいに。ことしもどうぞよろしく」
あいさつをして、ヒョイと竹ざおの先のどくろを見たとたん、
「あっ!」
と、いったまま、まっさおになりました。
「も、もし、一休さん、これはいったいどうしたことですか? 正月そうそう、どくろを持って来るなんて、えんぎが悪いにもほどがあります!」
怒る久衛さんに、
「わっははははははは」
一休さんは、お腹をゆすっての大笑いです。
「まあまあ、久衛さんや、正月そうそうおどろかしてすまん。これにはわけがあるのじゃ」
「どんなわけですか?」
「うむ、そのまえに、わしがつくった歌を聞いてほしいがのう」
一休さんは、声高らかに歌をよみ上げました。
?正月は、めいどのたびの、一里塚
?めでたくもあり、めでたくもなし
一休さんの歌に、久衛さんは首をかしげました。
「はて、『めでたくもあり、めでたくもなし』とは? 一休さん、これはどういう意味でしょうか?」
「うむ。誰でも正月がくると、一つずつ年をとる。ということは、正月が来るたびに、それだけめいどへ近づく、つまり死に近づくわけだ。だから正月がきたといって、めでたがってもいられない。それで、めでたくもあり、めでたくもなしじゃよ」
「ああ、なるほど」
「どんな人でも、必ずいつかは死ぬ。そして、このようなどくろになりはてる。こういうわたしだって、あと何回正月をむかえられるかわからん。あんたもおなじじゃよ」
「はい。たしかに」
「久衛さんや、生きているうちに、たんといいことをしなされや。そうすりゃ、極楽(ごくらく→てんごく)へ行かれるからの」
「はい!」
「あんたは大金持ちだ。少しでいいから、あまっているお金は困っている人たちにあげなされ。めいどまでは、お金はもっていけんからな。はい、さいなら」
大金持ちの久衛さんをはじめ、ほかの大勢のお金持ちが、この一休さんの教えをまもって、まずしい人びとをたすけたということです。