むかしむかし、お春という名前のおばあさんと、お花という名前のまご娘が二人で暮らしていました。
お春ばあさんは六十才で、お花は七才です。
お花の両親は、お花が三才の時に死んでしまったので、お春ばあさんはよその家の畑仕事や針仕事を手伝って暮らしていました。
お花はお春ばあさんが仕事をしている間、近所の男の子たち相手に遊び回っています。
「お花、今度こそはおらの勝ちだぞ。えいっ!」
「よわいくせに、何を言ってる。やあっ!」
男の子が相手でも、勝つのはいつもお花でした。
夕暮れになってお春ばあさんの仕事が終わると、お花はお春ばあさんと一緒に家へ帰りました。
「ばあちゃん、今日は、吾助とごん太をやっつけたよ」
じまんげに言うお花に、お春ばあさんはあきれ顔で言いました。
「お花。棒切れ遊びは、男の子の遊びじゃ。おなごのするもんじゃあねえよ」
「だって、女の子と一緒に遊ぶなんてつまらんもん。体は女でも、心は男じゃ」
「やれやれ、死んだ母親にそっくりじゃ」
やがて秋になり、畑のかり入れが終わってしまうと、お春ばあさんの仕事が少なくなりました。
毎年の事ですが、これから春までは家で針仕事をする時間が多くなります。
そんなある日、お花がお春ばあさんに言いました。
「わたし、もう遊ぶのをやめる。これからはばあちゃんの手伝いをする」
それを聞いて、お春ばあさんはおどろきました。
「どうしたんじゃ? あんなに棒きれ遊びが好きだったのに。子どもは子どもらしく遊んでおればええんじゃ」
「だって、ばあちゃんは、いつも夜遅くまで働いているじゃないか。わたしも手伝えば、夜遅くまで働かなくてもいいだろう」
「何を言っている。お前に手伝ってもらったって、かえってじゃまになるだけだ。・・・まったく、急になまいきな事を言いよって!」
そういうお春ばあさんのほおに、ポロリとうれしなみだがこぼれました。
ところがその冬、お花は流行病(はやりやまい)の『百日ぜき』にかかってしまったのです。
「ゴホン、ゴホン、ゴホン」
朝も夜も、お花のせきはとまりません。
お春ばあさんは必死で看病をしますが、小さな村では医者も薬もありません。
「お春、がんばるんだよ。春になれば、必ず良くなるから」
「うん、ゴホン、ゴホン!」
そしてあんなに元気だったお花は、あっけなく死んでしまったのです。
お花が死んでしまってから、お春ばあさんはたましいが抜かれたように何日も何日も仏だんの前から動こうとしません。
ある日、近所の人が心配してやって来ました。
「お春ばあさん、もちを持ってきたから食べて。
少しは食べんと、体に悪いよ。
お春ばあさんにはつらい事だが、お花はきっと、あの世でおっとうやおっかあと親子水入らずで暮らしているよ」
お春ばあさんは、やっと顔をあげて言いました。
「ああ、わたしも、その事だけをいのっていたんだ。
でも、お花はまだおさない。
ちっちゃなお花が、まよわずにおっとうとおっかあのところに行けるだろうか?
あの世のどこかでまい子になって、一人さみしく泣いてはせんじゃろうか?
いっその事わたしも死んで、お花を探しに行きてえ」
「何言っているの!
死ぬなんて、そんな事を考えたらだめだよ。
大丈夫、お花はしっかり者だから」
「ああ、そうじゃな。・・・そうじゃと、いいが」
夜になって近所の人が帰ると、お春ばあさんはまた仏だんの前にすわり込みました。
「お花、大丈夫だろうか?
どこかで、ばあちゃんをさがしているんじゃないだろうか?
一人さみしく、泣いていないといいが。
お花は、かわいい子じゃった。
笑い顔なんて、まるでおじぞうさまにそっくりじゃった。
・・・おじぞうさま。
そうじゃ!!」
お春ばあさんは、その夜から、おじぞうさまをほり始めました。
おじぞうさまは子どもの守り神で、死んだ子どもを天国にみちびいてくれると言われています。
そこでお春ばあさんはおじぞうさまをつくって、早くお花を天国へ送ってやろうと思ったのです。
しかしおじぞうさまを作ることは、年老いたお春ばあさんには大変な事です。
お春ばあさんは毎日毎日おじぞうさまをほり続けて、春が来る頃にようやく出来上がりました。
それはお花にそっくりの、小さな小さなおじぞうさまです。
「これできっと、お春はおっとうとおっかあに会えるにちがいない」
お春ばあさんはその小さなおじぞうさまを、村を見渡せる丘の上に置く事にしました。
やがてこのおじぞうさまは『お花じぞう』とよばれ、村人たちは子どもが百日ぜきにかかると、お花が大好きだった「いり米」をお供えしました。