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一級短文読解(99)
日期:2016-12-06 09:52  点击:365
  時刻について、私が子供の頃は「4時半」「5時10分前」「5時10分過ぎ」のような云(い)い方がしばしばされていた。これらはいずれも時計の針のイメージだったと思う。針が半分まで来ている、ちょっと手前にある。ちょっと行き過ぎた、という状態の言葉化なのだろう。
  だが、現在は同じ時刻のことを「4時30分」「4時50分」「5時10分」と(注1)フラットに表現することが多くなっている。また「16時30分」のような24時間式の言い方も以前より多くなった。
  時計の針のイメージが薄れて、デジタル的に一元化されたということだろうか。おそらくはその感覚の延長として「26時」「28時」のような表現をみる機会も増えた。これらは「(翌日の)午前2時」「(翌日の)午前4時」のことである。前日からの継続性が念頭にあるわけだ。
  昔も「25時」という表現はあった。だが、それは「(翌日の)午前1時」のことではない。24時間の枠外の、特別な時刻というような意味合いが強かったと思う。「25時」はあっても①「26時」や「28時」をみた記憶がないのはそのためだろう。
  以上の点から、我々の生活上の時間はデジタル的に均一化されつつ、どこまでも連続する感覚が強っているように思える。是非はともかく、自分の意識もまた②そうした環境の影響を確かに受けているようだ。
  例えば、事務連絡的なメールのなかに「16時半」とあると、この「半」を見落としたりする。「半」に対する感度が落ちているのだ。それに気づいてからは自分がメールを書くときには③「16時30分」と表記するようになった。逆にこちらの(注2)アナログ的個性を印象づけたい場合には、「半」「前」「過ぎ」などを使うといいのかもしれない。
 
(注1)フラット:平ら
(注2)アナログ:デジタル(数値で表すこと)ではないこと
 
 
「問い」下線①「『26時』や『28時』をみた記憶がない」理由を筆者は何だと考えているか。
1 昔のデジタル時計では「26時」や「28時」を示すことができなかったから
2 時計の針のイメージでは、「26時」や「28時」まで示すことができなかったから
3 子供の頃の筆者は、「26時」や「28時」に活動していたことがなかったから
4 「26時」や「28時」を使って前日からの継続性を表現する必要がなかったから
 
「問い」下線②「そうした環境」とはどんな環境か。
1 時間に対する感覚が鋭い環境
2 生活の時間を細かく分ける環境
3 時間を均一化してとらえる環境
4 事務的な連絡をメールである環境
 
「問い」筆者が③「『16時30分』と表記するようになった」のはなぜか。
1 相手のデジタル的個性を印象づけたいから
2 自分が「半」を読み落とすかもしれないから
3 自分のデジタル的個性を印象づけたいから
4 相手が「半」を読み落とすかもしれないから

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