「主張せよ」と言われたときに「私は自分の意見(で相手の行動)を強制したくないから(主張したくない)と答える人もいます。
もちろん、この人も①思い違いをしています。意見を主張することを「強制」と心配する必要はありません。
「Аすべきだ」(たとえば、「禁煙すべきだ」とか「毎日ジョギングすべきだ」など)に対し、人はそういわれたからАをするのではありません。「Аすべきだ」に対し、そう言われてАをする人は、「Аすべきだ」といわれたからそうするのではなく、「Аをなぜすべきか」の部分に論理的に納得して、それでАをするのであす。人の意見を受け入れて行動するとは②そういうことで、Аをする人は自分の意志でАをするのです。
ですから、根拠を添えて主張をすることを「強制」と心配する必要はないのです。もちろん、根拠をそえずに主張して、かつ、相手がАをしないときに「なぜそうしないのか」とあなたが詰め寄るのであれば、そのときは「強制」と大いに心配してください。
…もっとも、そういうことをする人は、自分の言動が強制であるだろうかなどと心配する理性を持ち合わせていることはありませんね。おそらく、「主張をすることを強制と心配する人の主張は、決して強制になりえない」くらいに考えて差し支えないでしょう。
「問」下線①「思い違いをしています」とあるがなぜそういえるのか。
1 人間は、他の人に言われた通りの行動をするような存在ではないから
2 意見を主張することと意見を相手に押し付けることは別のことだから
3 人の意見を受け入れて行動する人は、意志の弱い人だと考えられるから
4 他の人に行動を強制するには何度も繰り返して主張する必要があるから
「問」下線②「そういうこと」とあるが、どういうことか
1 他人の主張とは関係なく自分で判断するということ
2 相手の意見が正しいか心配していることということ
3 他人の意見を正しく判断する力があるということ
4 相手がそう考える理由を認めた結果だということ
「問」この筆者の考えに合っているものはどれか。
1 自分の意志を言うときは何も心配せず言いたいことを言えばよい
2 主張は押し付けになってしまうおそれがあるので注意すべきだ
3 どんな意見でも正しい理由とともに主張することが大切である
4 他人の意見を聞き入れて自分の行動を変えることは難しいことだ